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東京湾の砂浜を走る佐々木朗希。ジョニーもYFKも行った、マリーンズ投手陣「伝統の調整法」

肌で知る震災とその前後の景色を、今後のプロ野球人生で伝えていく

ZOZOマリンスタジアムで調整中の佐々木朗希投手2 海と言えば、子供の時もよく家族で海水浴に行っていた。震災前の陸前高田市(岩手県)に住んでいた時によく行ったのが高田松原だ。松林が有名で、白砂青松の景観は広く知られていた。  しかし、2011年の震災でこの景観も一変する。ほぼすべての松が津波に飲み込まれ倒され壊滅した。今は奇跡の一本松が有名で、東北復興のシンボルとして奇跡的に倒れずに残った1本の松がある。 「本当に綺麗なところでした。あれだけの松が流された。それでも1本残った。それは凄いことだと思います」  震災を実際に体験し、その前の景色とその後を知っている。すべてを肌で感じ、脳裏に残っている。だからこそ、これからのプロ野球人生ではしっかりと伝えていくことも求められるし、それが使命だと感じている。  海の近くで生まれ育ち今、海の近くのスタジアムを本拠地に置くチームでプロ野球人生を歩み始めた。太陽がギラギラと輝いていた真夏のある日。背番号「17」は、東京湾が見渡せる砂浜をただひたすら走っていた。 文/梶原紀章
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