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ギャンブラーのスイッチに“勝負時の一服”が有用だと思う話

冷静さをタバコと取り戻しているつもり

 キャバクラを辞めてなおタバコを吸い続ける理由は、やめる理由が特に無いからだ。日々のパチンコ通いと同じように日常になり、吸わないと1日の収まりが悪い気がする。特に食後のタバコはなぜかやめられない。「美味しい」をタバコの味で覆ってしまうのはもったいないと言われることもあるが、これが無いとずっとお腹一杯になってしまって、タバコを吸うまで「食事中」みたいな気持ちになってしまう。  何か行動する度にタバコで締めて次の予定をこなす。惰性の中にもふんわりとした理屈があり、それを曲げることにふんわりとした嫌悪感を覚える。吸わなくてイライラするのはこういうことで、依存性の正体は実は惰性に抗えない怠けた心なのではないかと思っている。もちろんこれは手が震え出すような退薬症状とは別で、「何となく禁煙できない」というレベルの話だ。  体に悪いのも、金が無駄にかかっているのもわかる。どんな味がするのか聞かれてもよくわからない。むしろ、よくよく味わおうとすると美味しいとは思わない。区切りであり、スイッチであり、僕にとってのタバコは食べ物や飲み物の延長線上には無く、どちらかというと立ち上がる時の「よっこらせ」に似ている。  一方、スイッチとしてのタバコは有用だと思っていて、例えば競馬やパチンコに行った時に1レースないし1万円負けたとする。この時にすぐ次のレースを買ったり追加で金を入れるより、一度タバコを吸いながら考えるのだ。 「今の自分は冷静か?」  ここで引き下がることもできるし、仕切り直して勝負することもできる。ここで矢継ぎ早に次のギャンブルに臨んで、もし負けようものなら、脳のヒューズが焼き切れて止まらなくなる。「勝負に熱くなる」と言うが、この時の脳は本当に熱くて血が沸く。心臓の鼓動が速くなる。血の巡りが速くなり、果ては勝負も速くなる。  タバコを一服して冷静さを取り戻す。競馬場なんかは特に顕著で、同じように喫煙スペースで鬱憤を煙と共に吐き出しながら天井を眺める同志の何と多いことか。そんなに辛いならもう帰ってしまえばいいのに、とさえ思うが、みんな負けるためにここに来たわけではない。  わかってる。  全レースを後悔しつつもまだ勝負できる目の人間が集まっている。強い気持ちで「まだ負けじゃない、勝ちへの途中」というマインドをリセットするためにタバコを吸いにくる。心が折れた人間は街へ戻り、パチンコ屋の中でタバコを吸う。僕は浦和競馬場によく行っていたが、心が折れた時はそのままバスに乗って南浦和駅の近くにあるパチンコ屋に逃げ込むことが多かった。軽い甘デジを打ちながら二度と競馬をしないと何度誓ったことだろうか。
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金がないのに吸うたばこ
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