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<純烈物語>歌と向き合い、最愛の母を気遣う……コロナ禍での白川裕二郎の孤独な闘い<第65回>

<第65回>コロナ禍が招いた白川裕二郎の孤独な闘い。歌と向き合い、最愛の母を気遣う中で……

「本心を言わせてもらえれば今年いっぱい、純烈としてお客さんを入れた形のライブはできないと思っています」  緊急事態宣言が発令される1週間前、つまりは3月末に取材した時点で酒井一圭はそう言っていた。世間では新型コロナウイルスの影響が深刻化するも、収束に向けてまるで先が見えなかった頃。  中には「コロナは湿気に弱いから梅雨になったら落ち着く」といった見方もあったが、じっさいは感染者が途絶えるまでの状況にいたっていない。各スポーツやエンターテインメントは有観客のイベントこそ再開したもののソーシャルディスタンスを取り、声出し禁止などの制限を設けた上でおこなっている。  2月27日のライブを最後に次々とスケジュール表から予定が消えていく中、酒井が「5月31日ぐらいまでは何もできない状況が続くと思ってくれ」とメンバーとスタッフに通達したことは書いたが、じつはその先もライブができない覚悟をすでにしていたのだ。ただ、4月のタイミングで「今年いっぱいはダメ」と出したらファンのショックもより大きくなってしまう。  今年も残り3ヵ月となった今なら、純子と烈男の皆さんも同じ認識を持っているだろう。いずれにせよ、この2020年は純烈にとって特別な年として刻まれる。  ならばその時、メンバーが何を思いどう向き合っていたかを文献として残すべき……そう考え、スポークスマンであるリーダー以外の3人に話を聞こうと思った。何年か経って読み直し「あの頃はこんな思いでやっていたよなあ」と、本人たちが振り返れるように――。

「当たり前」ができなくなる

「2月27日の前日に『愛をください~Don’t you cry~』がリリースされてキャンペーンで大阪の方にいっていたのが、お客さんの前で歌わせてもらったのが一回きりになってしまったんですよね。あれから7ヵ月ほどが経ちましたけど、その時点ではここまで長引くとは正直、僕は思っていなかったんです。テレビをつけると日ごとに状況が変わっていましたし、今よりも先が見えなかったですから。  そうした中で僕は7、8月ぐらいにはコンサートもできるようになるんじゃないかと思っていたんですけど、緊急事態宣言が出されたあたりからいよいよまずいぞと。だいぶ遅かったんですけど、そこで大きな不安が芽生えてきました。これはファンの方々と接触的なものはできなくなるということが、現実味となって覆ってきたような感覚でした」  挨拶時の笑顔から一転し、白川裕二郎は深刻な表情であの頃のことを語り始めた。当たり前のように顔を合わせていた相手と、それができなくなる。そこに関しては近しい人であろうとなかろうと、人間ならば不安を覚えてしかるべきだろう。  ありがたいことに、この状況になってもテレビに呼ばれ、緊急事態宣言が解除されたあとは歌番組の出演も少しずつ増えていった。ライブでファンには会えないが、こうして自分たちの元気な姿を見てもらえればとの思いで向き合った。
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母が倒れ、歌に悩む
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