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<純烈物語>コロナ禍で白川裕二郎は「僕にとってたった一つの打ち込めるものが純烈であり、ほかのものを求めたらバチが当たる」と言った<第67回>

たった一つ、打ち込めるものが純烈

 自分の力や姿勢、信念さえも及ばぬ事態とあれば、ジタバタしたところでどうにもならない。白川は脇目を振ることなく、ただただ歌の向上に没頭し、その中で実力という現実とも向き合った。時間ができた分、ほかの活動に手を伸ばすことは考えなかったのかと聞くと……。 「俳優さんとかですか? 全然考えなかったですね。ここまで来られたのは純烈のおかげだし、僕が酒井に誘われていなくてあのまま役者を続けていたら、間違いなく紅白に出られていないし、この業界にさえいなかった。僕の人生をいい意味で変えてくれたのが純烈でありお客さんだから、ほかの仕事にシフトするという考えはなかったです。  普通なら、何かしらやらないと自分を保てないってなるのかもしれないけど、僕はそういうのを考えられる頭がないんで。だから、これと決めたらもうそれしかできないし、ほかのことをやる勇気も根性もないです。僕にとってたった一つの打ち込めるものが純烈であり、それでほかのものを求めたらバチが当たりますよ」  今よりも先が見えない段階でも、メンバー同士でどうするかという話し合いはなかった。「俺、このまま純烈を続けてええんやろうか」と、酒井が家族会議をした話は白川もチラっと聞いたそうだが、山本浩光マネジャーも含め、何があってもユニットとしてそこに在ることに関しては、コンセンサスがとれていた。

純烈が存在することで支えられている

 ライブができない間、バラエティー番組等に出演しているのも「純烈だから。そこだけはしっかり残しておいて、復活したら全力でやろうなというのが暗黙の了解としてある」(白川)。ただ芸能人としての活動は継続できても、やはりアーティストとしてステージに立てないのは、パズルの一番大きなピースが抜けているようなものだ。 「たとえライブができなくても、純烈としての仕事を継続していかなきゃいけないし、同時にそれは気持ち的に難しいことです。でもそこは、僕よりも一人でやられている歌い手さんの方が大変だと思う。僕らはまだ、グループだから落ち込んだりしても誰かが声をかけてくれるけど、ソロのアーティストさんはそうもいかないだろうし」  純烈が純烈として存在することで、白川も支えられている。相撲の立ち合いのごとく、射るような視線で歌に打ち込みその結果、落ち込んだとしても「もうやめた!」とはならないし、なれない。  それを言うなら、コロナ禍になるよりも前からその繰り返しだった。デビューして10年経っても「いつも物足りないし、今日はすげえできた!ということがまずない」。おそらく白川は、終着点を立ててそこを目指すよりも、ゴールのないマラソンを走ることで自己表現をしていくタイプの歌い手なのだろう。
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11月にはお客さん1人をいれたライブを行う
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