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甲子園春夏連覇のエースで唯一“プロ未勝利の男”、卒業後の軌跡を追う

襲いかかってきた突然のイップス

 今まで大きな怪我をしたことがなかった島袋にとって、野球をやって初めての故障でもあった。そして3年秋に悪夢が襲ってきた。秋のリーグ戦の序盤、自身の成績を1勝2敗、防御率1.00の成績で迎えた青学大一回戦での初回の時だ。 「ガシャン!」  いきなり、バックネットにボールが突き刺さる金属音が、神宮球場に無情にも鳴り響く。はじめは、グラウンドにいる野手もベンチの選手たちもただのすっぽ抜けただけと思い、普通に試合に集中し直していた。だが、次もまた「ガシャン!」「ガシャン!」とバックネットへの暴投が続く。球場内が「どうした?」というざわつく空気の中、審判の「ボール」という乾いた声だけが響き渡る。突如、島袋のコントロールが乱れ、バックネットやバッターの背中方面への大暴投が続く。結局、2者連続フォアボール。一死一、二塁となったところで適時安打を打たれ、4失点で初回KO。島袋の野球人生において初めてのことだった。次の国学院一回戦では、初回一死一、三塁の場面にて暴投により先制点を取られる。その後、すぐに四球で一、三塁となったところでまた暴投で追加点、1回1/3、3失点でノックアウト。 「青学大戦でバックネットに投げまくりました。国学院戦で大暴投の連発で完全に終わった感じです。この時、マウンドからストレートが投げられないというサインをキャッチャーの東(隆志・ヤマハ)に出していたんです。だけど“来い来い”とジェスチャーするので、仕方なく真っ直ぐを投げたんです。東も届かないほどボールが大きく上に逸れたときに、もうダメだと思いました。それまでも投げる時には気持ち悪さがあったんですが、この国学院戦で終わりました」  秋のシーズンは、2勝6敗に終わり、四死球が前シーズンの倍の25に膨れ上がった。今振り返ると、この時から島袋は原因不明の“イップス”を引き起してしまったという。

大学最後の年は未勝利だがドラフト指名を受ける

「あと数カ月で4年生になるというのに……、早く不調から脱出しなくては」  当時はイップスだと思わず、なんとかして調子を取り戻そうと躍起になっていた。プロ志望の学生にとって最終学年の4年生のリーグ戦は、非常に重要な舞台となる。当然、プロ側も最終学年での投球内容によってドラフトの順位も大きく変わってくる。プロを目指して中央大に進学した島袋も、そんなことは重々承知だ。そんな思いとは裏腹に、4年春のリーグ戦は見るも無残だった。 0勝2敗 投球回数14.2 被安打17 奪三振12 四死球17 失点11 防御率6.75  1勝もできず、与四球率は10.43。投球回数より四死球のほうが多くて勝てるわけがない。甲子園であれほど精密なコントロールを見せていたのに、原因不明のイップスになってしまったため、島袋は“並のピッチャー”に成り下がってしまった。  秋のシーズンは1勝したものの復活には程遠く、それでも甲子園の実績を鑑みてソフトバンクがドラフト5位で指名した。念願のプロ入りだったのが、まさか地獄の入り口になるとはこの時誰も想像だにしていなかった……。※近日公開予定の後編に続く
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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