更新日:2021年01月07日 11:42
スポーツ

甲子園春夏連覇のエースで唯一“プロ未勝利の男”、卒業後の軌跡を追う

島袋洋奨

現在、母校の興南高校の広報部の事務職員として働きながら教職免許取得を目指す島袋洋奨氏

 高校球児にとって、甲子園は夢である。そんな夢の舞台で優勝、さらには春夏連覇の栄光に輝いた男がいた。だが、彼はプロ入りするも1勝もすることなく、わずか5年でユニフォームを脱いだ。

琉球トルネードで甲子園を席巻

「もう、これ以上成長できないと思ったので、野球を辞めました」  精悍な顔つきからゆっくりとした口調で、丁寧に話す姿からは誠実さが滲み出ていた。島袋洋奨は2010年、春夏連覇を成し遂げた沖縄・興南高校のエースだった。中央大学に進学した後、ソフトバンクからドラフト5位で指名され入団。2019年オフに5年間のプロ生活にピリオドを打った。  100年以上もある甲子園史において、春夏連覇はたったの7校。作新学院、中京商、箕島、PL学園、横浜、興南、大阪桐蔭しかないのだ。それほど、連覇達成はとてつもない偉業であり、かつ艱難辛苦の道のりであるのは言うまでもない。春夏連覇したエースはすべてプロ入りしている。だが、その中で一勝も挙げることなくユニフォームを脱いだのは、島袋洋奨ただ一人である。 「プロ生活の終盤は、なんで野球がこんなに下手になっているのだろうと自問自答してました。今まで投げられていたのに、なんで投げられないのかという葛藤を抱えながらずっと野球をやってました。プロに入っても正直投げることに関して、なんか気持ち悪い感じが身体のどこかにずっとありましたね」  まさか、あの島袋からこんな言葉を聞くことになるとは夢にも思わなかった。    2010年春夏の甲子園では、島袋はまさに無双状態だった。173cmの上半身を真後ろに捻る「琉球トルネード」とも呼ばれた投法から繰り出すボールは綺麗にスピンがかかり、アウトコースへとビタビタに決まる。 「足を上げた瞬間には、すでにボールの軌跡のイメージがしっかりできていました」  島袋は勝負どころではギアをさらに一段上げてストレートを投げ、空振りを取っていた。そして高校3年になった島袋は、甲子園で伝説を作った。 春 5試合46イニング 投球数689 被安打35 奪三振49 与四死球15 失点7 防御率1.17 夏 6試合51イニング 投球数783 被安打47 奪三振53 与四死球15 失点12 防御率1.94  たった一人で投げ抜き、史上6校目の甲子園春夏連覇という高校野球史に残る栄冠を手に島袋の輝きは、その後陽炎のように揺らめき、跡形もなく消えてしまった。すべては大学時代に起きた異変が、島袋の野球人生を狂わせたのだった。

大学進学と左肘のケガ

 東都の名門中央大学に進学した島袋は入学早々、いきなり快挙を達成する。東都大学春季リーグ開幕戦で48年ぶりに新人開幕投手に選ばれたのだ。1年春のリーグは、1勝3敗、防御率0.99で新人王に輝く。甲子園のスターに恥じない順調な滑り出しだった。続く1年秋は2勝4敗とまずまず。そして2年春に島袋の野球人生で初めてのことが起きたのだ。  2年連続開幕投手に選ばれた島袋は、開幕カードで強烈なインパクトを残す投球を見せる。東洋大一回戦で延長15回をひとりで投げきり、3対2のサヨナラ勝ちでチームを勝利に導いた。球数226球、奪三振21。1試合で投げる球数ではない。 「センバツ甲子園決勝の日大三高戦で198球を投げたことはありますけど、200球超えは初めてでしたね」  中1日で三回戦に先発し、7回92球1失点で勝利。勝ち点制度の大学のリーグ戦では、エースが一回戦、三回戦と中1日か中2日で登板を続けることが多い。2か月にわたるリーグ戦において、エースの出来不出来が勝敗を大きく左右するのである。 「勝ち点2を取れば、まず入れ替え戦はない。そうなると優勝争いできるし、下を見ない戦い方ができます。僕自身2連勝は初めてだったし、調子がよかったし、次の日大戦も重要なので投げました。でも、ここで肘がぶっ飛びました」  中6日で日大一回戦先発し、8回122球、失点4で3連勝。ここで島袋の肘は悲鳴をあげた。左肘内側側副じん帯に血腫ができており、すぐにドクターストップがかかった。肘が回復するまでの約5か月間、一切投げられないノースロー調整を強いられた。 「東洋大戦の226球と中1日の先発による酷使によって全盛期の投球ができなくなったと周りからよく言われます。実際は、その2戦まで肩肘は大丈夫だったんです。次のカードの日大戦で休める勇気があれば変わったのかなと。秋田監督から『本当に行けるのか? 無理だけは絶対にするなよ』と何度も声をかけられました。僕が『無理です』って言うことで登板は回避できたと思いますが、あくまでも自分の意思で投げました」
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球場がどよめいた一球
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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