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コロナ離婚した“芸人の嫁”の独特すぎる半生「芸能界を辞めて養豚場で働いた」

芸能活動休止、どうしても養豚場で働きたかった

小林礼奈 彼女が芸能の仕事以外にやりたかったこととは何なのか。それは、養豚場で働くことだった。事務所には引き止められた。 「事務所に『養豚場で働きたいから辞めます』と言ったら、最初は首をかしげられましたね。でも、豚が好きで好きでどうしても働いてみたかったので。頑張って説得したら、快く送り出してくれました」  小林さんは、それから2年間に渡って養豚場で働いた。当時を振り返り、「今まででいちばん楽しかった」と笑う。
養豚場

養豚場で働いていた頃の小林さん(提供写真)

 場内のうじ虫の除去や、雄豚と雌豚の交尾の補助、出産から出荷までのサポート……。華やかな芸能の世界とは打って変わり、だいぶ過酷な労働に思えるが「いい経験ができました」と語る。 「身体が弱くて、ブチ柄の豚に“ブタオ”と名付けて子どものように育てたんです。自分でご飯が食べられないから、哺乳瓶でミルクを飲ませたり、散歩をさせたりしました。私が近寄れば尻尾を振って、“お手”までできるようになったんです」
養豚場

(提供写真)

 手塩にかけて可愛がってきたブタオ。だが、ここは養豚場。他の豚と同様、別れの時はやってくる。 「半年育てて出荷する決まりなんです。出荷前日は泣きましたね。殺されるところも見なければと思って、屠殺場まで行ったんですが、最後までブタオが『なんで?』という顔をしていたことが今でも忘れられません」  小林さんは“他の人に食べられるぐらいなら”と、頼み込んでブタオの肉を分けてもらい、泣きながら食べたという。当時は、自分が人間であることすら嫌になってしまったと振り返る。
養豚場

(提供写真)

「何気なくスーパーで買って食べている豚肉に、罪悪感をもって欲しい。美味しい豚が食べられるのは、当たり前のことじゃないんです。人間ひとりが生きるために、どれだけの犠牲のうえに成り立っているのか知って欲しいなって」

“芸人の嫁”としての苦悩、離婚。そして現在

小林礼奈 こうして貴重な経験をした彼女は、さらに仕事に精を出すが、ちょうど25歳の時に妊娠が発覚し、結婚に至る。流産のリスクも考え、仕事は辞めるという選択をした。  出産を終えて“芸人の嫁”として再びテレビ出演が増えた小林さんだが……。 「私、ちょっと尽くし体質なんですよ。サービス精神が多めというか……求められた以上のことをやってしまう。“芸人の嫁”として、夫のためにも頑張らなきゃって気持ちも正直ありました。子どもの顔出し以外はNGナシ。でも、疲れてしまって。色々あったんですが、結局、離婚してしまいました。いま思うと、元夫に対して、もっと違う支え方もあったのかなぁ……なんて、反省することもありますね」  今後は子育てを中心にマイペースに芸能活動を続けながら「婚活もしていきます」と小林さん。 「以前は無理してお色気キャラをやっていた部分があるので、グラビアなどのキレイな見せ方なら良いのですが、下品な発言とかは封印したいなって思います。子どものためにも、未来の旦那さんのためにも……。好きなタイプですか? ん~、一途で真面目で誠実。そんな人と出会えたらいいな」 <取材・文/吉沢さりぃ、撮影/藤井厚年>
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720
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