ライフ

「やっぱり東京に戻りたい」農村の生活になじめない妻と2年で離婚。東北にUターン移住した45歳男性の後悔

 生まれ育ったのが地方の場合、このまま田舎に暮らし続けるのが嫌で地元を離れた者も少なくない。だが、そのまま東京や大阪などの大都市圏に移り住んだとしても後にUターンしたというのはよくある話だ。  都会での生活にストレスを感じるようになった、故郷が恋しくなった等の心境の変化はじめ、年老いた両親の面倒を見るため、家業を継ぐためという理由もあるだろう。  里村英朗さん(仮名・45歳)の出身は東北の日本海側。実家は農業を営んでいたが後を継ぎたくなかった彼は、地元の専門学校を卒業後そのまま上京。携帯電話ショップや飲食店の従業員など仕事を転々とした後、29歳からは運送会社のドライバーに。  いちばん長続きした仕事だったが38歳の時に退職。妻子を連れて故郷に戻ってしまう。家業である農業を継ぐためだ。
里村さんの故郷の風景

里村さんの故郷の風景

配送ドライバーから家業の農家を継ぐため、38歳で実家の東北へ

「両親から『継いでくれ』と言われたことは一度もありません。子供のころから厳しかった父親ですら『お前は自分のやりたいことをすればいい』と寛容で、上京を決めた時も反対されませんでした。  でも、こんな田舎で農家になることが嫌で飛び出したはずなのに30代に入ったあたりから望郷の念に強く駆られるようになりました」  妹は嫁いで遠方に住んでいたため、いずれ自分が面倒を見なければいけないとの思いもあった。  それに仕事でも配送ノルマや会社側が過剰なまでにプレッシャーをかけてきたこと、なにより業務改善について意見を行ったことで上司から目の敵にされてしまい、配送ドライバーの仕事に嫌気が差していたことも大きかった。 「同業他社に転職する道もあったかもしれませんが、農家を継ぐという選択肢以外に考えられなくなっていました。  東京では結婚して子供も生まれたため、惰性で住んでいたに過ぎず、上京当初のようなキラキラした憧れは微塵もなかったので。妻に打ち明けたところ、あっさり賛成してくれたため、それで一気に行動に移しました」  会社の早期退職制度は、正社員でもドライバーは対象になっておらず、あくまで自己都合による退職。退職金は一応支給されたが100万円にも満たなかった。  そこに対する不満はあったが、実家に戻って家業を継ぐことに両親は大喜び。同じ地元に住む親戚や友人たちもUターン就農を歓迎してくれた。ところが、順風満帆とはいかなかった。生活環境が大きく変わったことに妻が音を上げてしまったのだ。

農村の生活に妻が馴染めず、移住からわずか2年で離婚することに

「妻には経理などの事務をやってもらい、農作業は私と父親で行っていました。でも、実家では買い物も車でないと行くことができず、妻にとっては気の許せる友人もいなかった。  息子2人が通う小学校ではママ友グループがすでに出来上がっており、転入組でヨソ者の妻はその輪に入れませんでした。そのため、家族以外に交流する人がまったくおらず、精神的に参ってしまったんです」  妻は「やっぱり戻りたい」と弱音を吐くようになり、夫婦で何度も話し合った。ただし、父親は里村さんを後継者として周囲に紹介しており、その状況で再び地元を離れる決断は下せなかった。  彼も以前と違って笑顔が消え、明らかにおかしい妻に「ここに残って自分を支えてほしい」とは言えず、最終的には離婚に至る。子供は妻が引き取ることで合意し、移住からわずか2年で離れることになってしまった。 「農家の仕事は忙しく、夜も組合の集まりや同業者との交流で家を留守にすることが多かった。首都圏以外で暮らした経験のない妻に負担をかけしてしまい、夫としてのケアも不十分でした。  そこは申し訳なく強く感じているし、私がちゃんとフォローできていれば違う結果になっていたかもしれません。正直、実家に戻らなければ……と考えたことは何度もあって、この決断に関しては後悔のほうが大きいですね。  ただ、人前では愚痴は一切吐かないようにしています。もし両親の耳に入ってしまうと、離婚したことにますます責任を感じてしまうでしょうから」
次のページ
久々に会った息子たちのそっけない態度にショック
1
2
ビジネスや旅行、サブカルなど幅広いジャンルを扱うフリーライター。リサーチャーとしても活動しており、大好物は一般男女のスカッと話やトンデモエピソード。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。

記事一覧へ
おすすめ記事