更新日:2022年05月06日 20:14
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「ラブホで黙食」のススメ。現代社会に残された真の密室/文筆家・古谷経衡

コロナ禍で宿泊開始時間に変化が

 現在、緊急事態宣言の為、ラブホの宿泊時間開始は夜8時に前倒しになっている場合が多い。事実上、繁華街から夜8時を過ぎると人がまばらになるため、通常チェックインが夜10時とか11時とかになっている不文律を8時に合わせているのだ。これぞ涙ぐましいラブホ経営者の努力であるが、それでもラブホの客の入り具合は濃淡があり、やはり都心部繁華街は平常時よりも閑散とする一方、車での来館を主とする郊外のラブホはあまり影響を受けていない。昨年の緊急事態宣言下におけるラブホ街の状況とほとんど似た展開になっている。  さて、ラブホでの「黙食」であるが、生ハムを一気に堪能すると塩分が強すぎるので、サラダと一緒に食す。その場合、レタスなどの水分の多い軽量なものでは無く、ブロッコリーとか豆類の方が相性が良い。焼き魚は最後にやる。焼き魚を最初にやると、生ハムの味が初期の段階で堪能できなくなるからである。こうして私のラブホにおける「黙食」1回分が完結するわけであるが、明らかにこれこそが真の「黙食」と言える。  人類は、農耕を開始すると余剰生産物を備蓄できるようになった。この余剰生産物の管理者がマルクス曰く後に資本家となるのである。資本家が労働の対価として、彼らが支配する余剰生産物を供与することによって労働者階級が人類社会の中に生まれた。人々は備蓄可能な穀物や塩漬けを家庭に持ち込んで食することができるようになり、ここに初めて「食卓」が誕生したとは言いすぎではない。 「食卓」の誕生は農耕による余剰生産物の備蓄によって開始され、それによって共同体構成員が「食卓」を囲み、会話が成立するようになる。しかし、原始共産制では農耕が行われず、狩猟採集によってその獲得食物をその場で消費する必要があり、余剰生産物は発生しない。よって我々が想う「食卓」というのは原始共産制では存在せず、「食卓」は農耕誕生以降の人類における発明という事もできる。

太古の人類に思いを馳せながら

 振り返って、私たちが「食事とは、食卓を囲んで大人数が会話をしながら行うもの」という固定観念は、人類100万年の歴史の中では極めて最近になって出来上がった観念なのかもしれない。「農民画家」として名高いブリューゲル(―実際には彼は農民ではなかった)は、数々の農村風景を描いた。そこには現代の私たちでも共有できる農民の食卓風景が活写されているが、それは穀物生産システムが充実したルネッサンス時代のオランダやフランドルの風景であり、昔から人間社会に「食卓」があったわけではない。  事程左様に、余剰生産物が存在しえない狩猟採集を旨とした原始共産制が、人類史の中で圧倒的な時間を占めてきたのである。人類は長い間、「食卓」を持ちえず、本来的には食べるときに話をしたりしない「黙食」であったのだ。  農耕の開始には諸説あるが、簡便に本格的農耕の開始を1万年前とすると、人類史100万年のうち99万年は「黙食」の時代であると言える。「黙食」はコロナ禍における新しい生活スタイルなどではなく、ただ私たちが原始共産制の時代に先祖返りした本能の覚醒と言えば極論であろうか。 「黙食」は、完全な密室で行われるのが正しい。人の出入りが頻繁に存在する飲食店等での「黙食」は、その完成形には程遠い。現代社会において真の密室とはラブホであり、ラブホで独りで過ごすひとときである。外界から完全に遮蔽されたラブホテルは、コロナ禍にあって最後のザイオンかもしれない。私たちは太古の人類の生活に思いを馳せ、ただ黙々と独り黙って食物を喰らう時代に戻ろうとしている。<文/古谷経衡>
(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/評論家/令和政治社会問題研究所所長。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数
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