フランス料理店として1950年に創業
キッチンで調理をする長谷川シェフ。現在64歳で、18歳のときからこの店一筋のシェフだ
グリルエフは、フランス料理店として1950年創業。初代シェフの斎藤公男氏は「上野精養軒」や今でも伝説的に語られる「レストランエーワン」を経た、いわば当時のフランス料理業界におけるエリート中のエリートである。
グリルエフはこの街で一番高級でハイカラなレストランであり、夜ごとに財界人、文化人が集った。そんな店に高校卒業後すぐ入店したのが現オーナーシェフの長谷川清氏。’75年のことである。
当時の飲食業界における労働環境の過酷さはしばしば耳にするところだ。長時間の重労働は当然の上、技術は見て盗めと言われ、味見さえも大っぴらには許されず、鉄拳制裁もあった。まして格式高い店ならなおのことだったのではと思い、私は長谷川シェフに「さぞかし大変だったのでしょうね」と尋ねた。
ところがシェフは半ばキョトンとして「いや、こんなもんかくらいにしか思ってなかったですね。何しろ他を知らないし、真っ白でしたから」とこともなげに答えた。入店した時点で店に5人いる料理人の下っ端だった長谷川氏だったが、4年ほどで、先輩たちは家庭の事情などで次々と退職、それからは前述の初代シェフ斎藤氏の下で二番手として腕を磨くことに。さらにその10年後には斎藤シェフも引退し、グリルエフのすべてを受け継ぐことになり今に至る。
そして、さらに10年後、老朽化した看板を掛け替えるにあたって、ひっそりと「フランス料理」の文字を消した。当時すでにフランス料理はヌーベルキュイジーヌの時代を通過して大きく変容。
「これからはもうあくまで『洋食屋』ってことでやっていこうと思いましてね」と長谷川シェフは当時を語るが、だからといってそのメニューも味も何も変わっていない。それが現在のグリルエフだ。もしかすると看板の掛け替えで変わったのはお客さんのほうかもしれない。
一番人気・ハヤシライスはメニューに記載されていない
グラタン、パスタ、サンドイッチなどのメニューはあるが、ハヤシライスの記載はなし。店先にある看板下のメニューにのみ記載がある
現在のグリルエフの一番人気メニューとなったハヤシライスは、実は昔も今もメニューには記載されていない。それはかつてはピラフやオムライスなどと共に、常連客にのみ供される「裏メニュー」だったのだ。にもかかわらず、今となってはそれを来店客の約7割が注文する。
少し意地の悪い質問であることは承知の上で、そのことについてどう思っているかを尋ねてみた。シェフの答えは「そりゃ、本音ではビーフシチューとかタンシチューとかを食べてほしいってのはありますよ。でもお客さんからしてみれば安くて手早く食べられるハヤシライスが嬉しいのは当然ですから」というものだった。正直なところ私もシェフの本音に同感である。極めて高品質な古典フランス料理のタイムカプセルであるこの店でハヤシライスだけなんてもったいない。
とはいうものの、悔しいかなこのハヤシライスは絶品なのである。私はこれまでさまざまなデミグラスソースを味わってきたが、この店ほど濃密なデミグラスソースは他で口にしたことがない。このハヤシライスももちろんそれがベースなのだが、その見た目は一般的なハヤシライスとは大きく異なる。
この店の名物であるハヤシライス。先代より引き継いだ漆黒のデミグラスソースで作られたそれは、ほろ苦さもある他の店とは違った逸品だ
グリルエフのそれは一見「牛肉交じりの玉ねぎソテー」だ。しかし、よく見ると丁寧に切りそろえられシャキッとした食感を残して炒められた玉ねぎの表面には、満遍なくその濃密なデミグラスソースが纏わっている。割合的には少量にも見えるソースだが食べると存在感は圧巻。人気があるのにも納得だ。
それでもやはり、この店を語るのにハヤシライスだけではあまりに不完全。次回は、それ以外の正統派洋食メニューについても改めて触れていきたい。
グリルエフ
【稲田俊輔】
鹿児島県生まれ。自身も飲食店を手掛ける飲食店プロデューサー。著書に『
人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社)、『
南インド料理店総料理長が教えるだいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)
<取材・文/稲田俊輔 撮影/山川修一(本誌)>
関東・東海圏を中心に和食店、ビストロ、インド料理など幅広いジャンルの飲食店26店舗を経営する円相フードサービス専務取締役。自身は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に業態や店舗プロデュースを手がける
グリルエフ
東京都品川区東五反田1-13-9
ランチ11時~14時30分(ラストオーダー14時)、ディナー17~21時(ラストオーダー20時40分)、日曜祝祭日定休
昭和25年創業の老舗洋食店。レンガ造りの外観や入り口の内装なども創業当時のままだという
(コロナの影響により営業時間はお店にご確認ください)