お金

借金500万円を抱える僕がキラキラした学生の会話に感じたこと

ささやかな幸せ

 さて、この足るを知るささやかな幸せだが、一見、大雑把に出来上がっているように見えて意外と繊細だ。  歩く幸せ、探す幸せ、食う幸せ……。  規模が小さければ小さいほど、光と正論に弱い。強い光に当たると萎縮してしまうのだ。  この時期は、大学の最寄駅なんかは危険だ。社会というダンスホールの隅の隅、そこで酒や踊りを嗜まずに壁にあるコンセントでこっそりと充電しながら、誰にも見せない自己啓発本を書いている連中、これが我々「多重債務者」だ。近づいて耳を澄ましてみると、 「この生き方は間違っていない」 とぶつぶつ呟いているのが聞こえるだろう。我々にスポットライトが当たってしまうと、何かを隠しながら慌てふためいてしまう。こと現代においてそれを「初めて見る珍しいダンスだな。面白い」と言えてしまえる無神経さが貧富の差だ。どうですか、僕は面白く踊ってますか?

電車に乗り込んでくる学生

 今の職場は埼玉の少し外れ。3駅くらい前から学生がたくさん乗り込んでくる。学習塾が並ぶその駅に、ブレザー、学ラン、私服なのに勉強をしている子供、様々な学校の生徒が一斉に向かう。 「課題やった?」 「いやまだ」 「もう受験だし関係ないか」  過ぎてしまったらこれほどまでに貴重に感じる学生時代を、彼らは自分のペースで進む。勉強がいつか生活と天秤にかけられる事になるなんてきっと知らない。 「MARCHも落ちたら人生終わりだわマジで」  完全無欠でピカピカの人生の始まりを見て、もう捨てたはずの嫉妬が燃え上がった気がした。  受験に落ちたら人生は終わる、僕もそう思っていた。  就活に失敗したら死んだ方がいい、僕もそう思っていた。  借金をする人間は何で生きているのかわからない、僕もそう思っていた。  まだ生きている。作業着を着て、一日15時間働いて、それでも「金を払え」という電話がかかってきてもまだ生きていた。  受験に落ちたら受験に落ちた人生が続くだけで、借金をしたら返済する人生が始まるだけだった。  かつて地球の端は奈落だと思っていた人間のように、彼らは人生のレールをはみ出したら底の見えない闇に堕ちてしまうと思っているのかもしれない。地球は丸いし、どれだけ惨めでも人生は終わらない。  学生を見ただけで悲しくなってしまった。潤った肌を一目見てやろうと顔を上げると、もうすでに二人は駅を降りてしまっていた。僕よりも速い、彼らのスピードで。
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一本早い電車
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フィリピンのカジノで1万円が700万円になった経験からカジノにドはまり。その後仕事を辞めて、全財産をかけてカジノに乗り込んだが、そこで大負け。全財産を失い借金まみれに。その後は職を転々としつつ、総額500万円にもなる借金を返す日々。Twitter、noteでカジノですべてを失った経験や、日々のギャンブル遊びについて情報を発信している。 Twitter→@slave_of_girls note→ギャンブル依存症 Youtube→賭博狂の詩

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