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阪神暗黒時代の守護神・田村勤。「怪我に泣いた」からこそ選べた第二の人生

復活するもまたも長期離脱。そして自由契約に……

 99年にはワンポイントで復活するものの、2000年にまたもや1年間戦線離脱。そしてついに自由契約となる。その後、すぐにオリックスに拾ってもらい、2年間在籍し引退を決意した。 「プロ生活12年ですけど、心置きなくブルペンで投げられたのはほんの僅か。大学、社会人と思い切り投げ込みができたんですけど、プロに入ってからは全力で投げ込みができなかった。それが嫌だったですね。ジェットコースターのような人生でした。活躍すればチヤホヤ、活躍できなければとたんに人がいなくなる。自分では大活躍をしたイメージがない。大活躍って10年くらい連続して活躍することだと思ってたから。そういうふうになりたかったし認められたかったというのはありましたね」

整骨院で修行を積み開業

田村勤

現在は子供たちに体のケアの大切さを教え、末永く活躍するよう指導している田村勤さん

 12年間のプロ野球人生のほとんどが怪我との戦いだった。テレビ画面から見ても浮き上がるような球筋は、阪神ファンでなくとも魅了され、あの球筋の残像は今でも記憶に残っている。これぞ“一流”のピッチングだった。 「現役時代に僕らのような業界の人たちと関係性を築けたら、もっともっと情報が入手できてましたね。インナーマッスル、可動域の重要性を知っていたら、もっと違った形になっていたかもしれません。如何せん知識が乏しかった。情報がなかったですから」  現在、田村は兵庫県西宮市で田村接骨院を開業している。第2の人生をすんなり決めたわけではなかった。2002年に現役を引退した後、駒沢大時代の恩師である太田誠のところへ挨拶に行った際、唐突に「おまえは怪我で苦労したんだから、こういう業界はどうや?」と言われたのがきっかけだった。そして芦屋にある「よしかわ接骨院」で2年間みっちり修行しながら、傍らに大阪経済大野球部のコーチを兼務していた。2年間の修行の中で、田村は徐々にこの世界に傾倒して行く。 「つくづく身体だなと思います。自由に使える身体、無理なくできる身体、本当に自分が思うように身体が動けば、もっとできる人は多くなるはず。一度でも一軍を経験した人で五体満足でクビになっていく人って少ないんじゃないでしょうか。それを差し引いての結果です。プロはアマチュアじゃないんです。アマチュアは頑張ったですみますが、プロは頑張って当たり前、数字、結果を出して当たり前。そこを評価されるのだからわかりやすい。僕は結果を残す選手になりたかったが怪我のためにできなかったので、せめて子どもたちには怪我なく思い切りプレーできるための身体作りをサポートしてあげたい」  阪神時代に肘の故障を見てくれたドクターのアドバイスもあって、05年にスポーツ治療に特化した接骨院を開業し、今年で16年目だ。普通の骨折院とは違って、ブルーのマットを敷き詰めた10~12畳のトレーニングスペースを作り、田村の指示に従って子どもたちが鉄アレイ、テニスボール、スポンジボール、バランスボールを使ってトレーニングする。さらに壁側面には等身大が映る全身鏡があり、ピッチングフォームやバッティングフォームをチェックすることができる。 「選手たちがプロという場所でやるためには、ある程度身体のこと、神経や筋肉のことを知っておいたほうがいいと思います。治療の専門の人にまかせっきりじゃなく、自分でも知っておくことは大切です。入団すると警察講習会とかありますが、医学系の専門の人を呼んで身体の仕組みを教えることを義務化すれば、もうちょっと身体のケアの仕方も変わっていくんじゃないでしょうか」  痛みの大小はあるが、一軍で活躍している選手のほとんどが肩や肘の痛みで悩まされている。もし幼少時からきちんとしたケアのやり方を知っていたら、もっと長くプレーできる選手がドンドン増えてくるはずだ。だからこそ田村は、子どもたちが怪我に苦しまず伸び伸び長くプレーできるようにと自分が得た知識を惜しみなく教えている。  それが未来の野球の発展にも繋がるし、なによりも子どもたちに大きな夢を抱いて追いかけてほしい思いが一番強い。田村にとってまだまだ夢の途中である。<取材・文/松永多佳倫>
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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