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表記の統一問題に、多くの書き手が苦しんでいる?

今まで出会った、いろんな編集者

 いろんな編集者さんに会いました。  僕の文章を一部、勝手に変えて雑誌に発表した人もいました。意味が通じない文章になっていたので、最初、僕は誤植かと思いました。  今回は、漢字表記を「当用漢字に統一する。これは提案ではなく決定」という校正者さんに任せて、編集者が不在の場合でした。  次に出会ったのは、「すべてを編集者が直す。直した後、元原稿ではなく、直した原稿を筆者に見せる」という人でした。  いろんな人がいるものです。 「表記の統一」は、マニュアルとかカタログ、記録・報告文章では間違いなく必要でしょう。  でも、先週と同じことを繰り返しますが、心情を現す表現で、「表記の統一」がデフォルトであることが僕には理解できないのです。

「さびしい」をどう表記するか

 仕事で、武者小路実篤の『愚者の夢』という小説を調べていて、こんな表記に出会いました。(/は原文は改行) 「私はこの世に生きることが/いかに苦しく/いかに寂しく/そして人間は/最後に/くるしみぬいて死んでゆくものなのを/実によく知っている、この憐れな人間が/お互に嫌いあい/憎みあったら/その結果はどんなに恐ろしいか/さびしいか……」  こんなに近い距離で「寂しい」と「さびしい」があります。現代なら、すぐに校正が入るでしょう。どちらかに統一するか書き込まれます。  編集者が「いや、この『さびしいか……』はひらがなであるべきと著者は思っているんだ」と考えればこのままです。  でも、筆者と編集者の力関係というか、筆者が弱い立場とか若かったりすると、統一されることが多いのではと心配するのです。  僕は「表記の統一」を拒否して書き続けます。せっかく、漢字とひらがなとカタカナがあるんですから。
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

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