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森喜朗の発言に思う「差別と蔑視と偏見」の違いは何か

森喜朗の発言に思う、差別と蔑視と偏見、その違いについて

鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス 飯間浩明さんという方がいらっしゃいます。『三省堂国語辞典』の編集者さんです。  言ってみれば、国語のプロです。「了解」という言葉が失礼だといつのまにか思われてしまうようになった昨今に、「了解」そのものはニュートラルで失礼な意味はなく、「いたしました」という丁寧かつへりくだった言葉をつけて「了解いたしました」は日本語として、まっとうな丁寧語である、とツイッターで主張してくれました。  あたしゃ、嬉しかったです。  私は国語のプロではありませんが、「かしこまりました」と「了解いたしました」を比べた時に、表現者の勘として、「かしこまりました」は大げさだよなあと感じます。  若い俳優が「かしこまりました」とラインで返してくるたびに、「お前はどこかの執事か!?」と突っ込みたくなる感覚を持つのです。  でも、マナー講師が書いた本だと、「『了解』という言葉は失礼です」なんて断定してるんですよね。それは「了解」って言葉に失礼だろうと、僕なんか思うんですけどねえ。

差別というのは実害を与えるもの

 その飯間さんが、森会長の「女性は話が長い」という発言について、ツイートしていました。 「森会長の発言について『自分は女性だが、そのとおりとしか思えない』『そんなに女性蔑視かなと、女性の自分は思う』との意見があります。 『友人の女性たちは、みんな長話をする』と個人が発言したのなら、必ずしも問題になりません。でも、決定権のある立場の人がこれを言うと、差別発言なんです」  ここから一連のツイートが続きます。 「『友人の女性たちはよく長話をする』は事実かもしれません。これが『一般に女性は長話をするものだ』となると、男女を型にはめている可能性があります。  さらに『女性が多い理事会は、時間を規制しないと終わらなくて困るそうだよ』と責任者が言うと、選考での女性差別につながるおそれがあります。すでに述べたように、蔑視は軽蔑の心を表すことなので、『蔑視のつもりはなかった』と言われると追及しにくい面があります。  一方、差別というのは実害を与えるものです。この場合は女性理事にまさしく『ガラスの天井』を設ける発言であり、蔑視発言というよりは差別発言というほうが正確です」  なるほどなあと思います。 「蔑視発言だ」と問いつめても「いや、軽蔑の気持ちはなかった」と言われたら、そこで終わりですからね。  飯間さんはマスコミは「女性蔑視発言」と報道しているけれど、これは間違いなく「女性差別発言」だとツイートします。 「ニューヨークタイムズは『会長が会議での女性の制限を提案』と本質を突いた表現をしています。要するに実害を与える差別だと言っているのです」
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男の人はコーラ好きという「偏見」
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