エンタメ

<純烈物語>ラウンドなしのなかで、小田井涼平は「本来の歌手の姿」を取り戻す<第96回>

「どんなにシンドくても全開でやろう」

 今年に入ってのステージは、1曲演っただけで「ヤバい」と思ったほどだった。ラウンドなしということは振付の比重が増えているから、コロナ前以上の体力が必要となる。  そこで小田井は、御園座の『水戸黄門』へ臨むにあたり「どんなにシンドくても全開でやろう」と決めた。衣装より体の方が重く感じたほどだったが、公演も終盤に入った頃には戻ってきたという感触が得られた。  その上でラウンドに限らず、酒井が言うところの「小田井さんのよけいなこと」をやらないようにするのはストレスがたまらないかと振ってみる。こういう質問をする時点で、それを求めてしまっているのだが。 「物事って、何か形があってその中でやっているうちは慣れていくからいいんだけど、新しい発見はないやないですか。今はできない中でやれることをやるうちに、新しいことができるんちゃうかという気持ちがちょこっとあるんで。ひょっとしたら、ステージで歌って踊ってパフォーマンスすることで何か楽しさを見いだせたら、元に戻った時に違う形ができるかもしれないとい思うと、何事も経験しておいた方がいいんやと思います。  うずうずしないか? うん、お客さんとはコロナが収束すればふれあえますから。むしろパフォーマンスをキチッとやることは自分もトシとっているので今のうちしかできん。成長した自分になれていたらいいな……そう思ってやらないと、やれないですよ。老いていって何もできなくなるんやなあと思いながらやったって楽しくない。まだ扉が開くんやなと思ってやらないと……じっさいは開かんかもしれんけどな、ハハハハハ」

「この中から感染者が出たらどうしようという不安は拭えない」

 加えて、小田井の中にはもう一つの向き合うべきテーマがあった。これも、こちらの質問から広がっていった話。1月に有観客ライブを再開した以後、10本ほどのステージに上がっている。  慣れではないが、続けていることによってコロナに対する不安は少しでも拭えたかどうか。これは年長の小田井に聞くのが適切だと思った。 「こうして大江戸までやっと来たなという思いとともに、不安もまだありますよ。現実的にもこの時期にまた増えてきている中で、無事に終えられるよう祈った上でやるのも本音で。正直、ステージに立って客席を見渡した時に、この中から感染者が出たらどうしようという不安は拭えないですね。というのも、ウチは慣れで気持ちを抜くことができないんです。  というのも、去年末の紅白の前に奥さん(LiLiCo)のミュージカルの稽古が始まっていて。紅白3日前の時点で奥さんの方は3、4日に一回PCR検査受けていたんです。もしも紅白数日前に彼女が陽性と出た場合、僕は濃厚接触者として紅白に出られなくなるし、場合によっては純烈そのものが出られなくなってしまう可能性があった。だから結果が出るまでは、本当に祈るような気持ちでしたね」
次のページ
夫婦で芸能人という宿命
1
2
3
テキスト アフェリエイト
新Cxenseレコメンドウィジェット
おすすめ記事
おすすめ記事
Cxense媒体横断誘導枠
余白
Pianoアノニマスアンケート
ハッシュタグ