ミスコンファイナリストが選んだ意外な就職先。芸能関係ではなく「日本の製造現場を元気にする会社」
数多くのアナウンサーやタレントを輩出し、大学の学園祭で花形イベントとして注目されてきた“ミスコン”。昨今は世の中の風潮もあり、「美しさ」よりも「生き方」や「自分らしさ」など、求められる視点が変わってきている。
こうしたなか、京都の龍谷大学で毎年行われる「Ryukoku Contest 2023」(旧 Miss&Mr.Ryukoku)のファイナリストであり、審査員特別賞を受賞したのが小南 ゆ乃さん(23歳)だ。
大学時代は「アイドルコピーダンス」のサークル活動に励み、コンテストでも活躍した小南さん。しかし、そんな華々しい大学生活を送った彼女が選んだ就職先は、テレビ局などのマスコミ系や芸能関係、誰もが知る大企業ではなく、兵庫県にある中小企業だった。
華やかさとは一見無縁に思える、その選択の裏には何があったのか——。
幼少期の思い出や大学のコンテストで学んだこと、今の会社を就職先に選んだ理由について小南さんに伺った。
小さい頃からテレビアニメ『プリキュア』が好きで、“キラキラ”した女性に憧れていたという。その一方で、祖父が工務店を経営していたこともあり、物心ついた時からものづくりに囲まれた暮らしを送っていた。
「学校に登下校する際に、職人さんから『いってらっしゃい』とか『おかえり』と声をかけてもらえるのがとても嬉しかったのを覚えています。あとは近所にある神社の屋根や小学校の下駄箱などは祖父が作ったりしていたんですが、それを見つけるたびに友達に自慢していましたね」(小南さん、以下同)
アイドルになりたいと思ったのは、テレビでAKB48の総選挙を観たときだった。
「AKB48の総選挙では、普段テレビで見かけないメンバーもこんなにたくさんいるんだということを知って。自分もこういう世界で戦ってみたいと思ったのがアイドルになりたいと思ったきっかけでした。
ただ、48グループのオーディションを受けられるのが小学校6年生からだったので、それまでは親を説得するために、自分がオーディションを受けたいと思っていることを何回も伝えていました。
それで、AKB48の曲の振り付けを覚えて、職人さんの前で披露してみたり、結構本気で取り組んでいました」
小学校6年生になってからは、48グループのオーディションが開催されるたびに応募を繰り返したそうだが、結果としては全て書類選考で落ちてしまったとのこと。
「AKB48にすごく憧れていて、10回以上は応募したと思います。それでも通過することはできず、アイドルになるための道がいかに険しいかを実感しました」
小南さんの心情に変化があったのは、高校1年生の時だった。父の他界を機に、実家の工務店が事業承継者不足の危機に陥ってしまったのだ。「アイドル」になることよりも「安定した暮らし」を手に入れたい……。そのために、とにかく大学へ進学するという気持ちに変わったという。
以来、アイドルを目指す道ではなく、志望校へ合格するために勉強をする日々だった。その後、第一志望だった龍谷大学へ進学が決まったが、ちょうどコロナ禍で入学式や新入生歓迎会などのイベントが中止に。
このような状況下で、小南さんは「アイドルコピーダンス部の存在をネットで検索して知った」と語る。
「私が1回生の時に3つ上の先輩が踊っている動画を見る機会があり、すごく可愛いなと感じたんです。『私もこの人と一緒に踊りたい』と強く思ったことから、アイドルコピーダンス部に入ることに決めました」
AKB48を目指した幼少期「10回以上オーディションに落ちても応募した」
大学進学で出合った「アイドルコピーダンス」
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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