更新日:2022年04月15日 16:29
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傷もの野菜も捨てずに“見切り品”として売るワケ 日本一有名な八百屋の経営哲学

すべては巡り合わせ。八百屋は俺の「天職」

スーパーアキダイ・秋葉弘道社長――せっかく大企業に入ったのに、1年ほどで辞めて八百屋になると言ったら、ご両親は大反対したのでは。 秋葉:母親には「せっかくいい会社に入ったのに……」って止められました。仮に、俺が大学進学を望んでいたら、父親は死にもの狂いで行かせてくれたはず……。 ただ、もし大学に行って就職してたとしたら、途中で「やっぱ俺、八百屋やりたい」なんて親に言い出せなかったと思うんです。母親は止めたけど、最後に父親が「やりたいことをやらせてやれ」と言ってくれましたね。 こうした偶然や巡り合わせで今やっているんだから、やっぱり八百屋は俺の天職(笑)。退社後、高校のとき、バイトしていた八百屋に入社しました。早朝、市場で仕入れを終えると、先輩たちが食堂で朝飯を食べている間に、仲卸さんに野菜の目利きを教わりました。 先輩たちが戻ると、運転しながら母親が作ってくれたおにぎりを食べる。昼飯は忙しくて、あまり食べる暇はなかった。一日に使うお金は、缶コーヒーを買うための100円だけ。そんな日々を3年間続けて、開業資金を貯めました。 ――満を持して、ついに独立・開業したわけですか。 秋葉:いや、運送会社に転職しました。八百屋しか知らない怖さもあったんで、ほかの業界も知っとかなきゃって。でも、運転中に八百屋があると売れ行きはどうだとか考えちゃうし、「テナント募集」の看板を見ると気になって仕方ない(苦笑)。 やっぱり俺は八百屋が好きなんだと痛感して、独立を決意したんです。でも、現実はそう甘くなかった……。取材に来てわかるでしょ。商売やるにはすいぶん辺鄙な場所だなって。

23歳で独立開業するも店は連日閑古鳥が……

 今でこそ多いときは一日に2000人の来店があり、活気に溢れているが、創業の地であるアキダイ関町本店は西武新宿線・武蔵関駅から徒歩3分ではあるものの、辺りは静かな住宅街。人通りは少なく、八百屋を開業するには好立地とは言い難い。 ――ここに1号店を構えた理由は? 秋葉:23歳の若造が八百屋をやりたいなんて言っても、どの不動産屋も簡単にテナントを貸してくれない。それでいろいろ回って、やっとこさここに物件を見つけて、大家さんに頼みに行くと、息子さんと俺が同じ年で、応援するからと貸してくれたんです。 ところが今度は、開業資金を借りようとした青果信用組合に融資を断られる事態に……。立地調査したら、半日で通行人がゼロで、「仕事ができる若者とは聞いているが、この場所では商売にならない」って。 貯金の200万円を担保に融資を受けて、何とかオープンに漕ぎ着けたけど、とにかくお客さんが来ない……。前に働いていた青果店は、開店と同時にお客さんが来るのが当たり前でしたが、俺の店はオープンして2時間たっても誰一人寄りつかない。 精神的にズタズタになりましたね。「八百屋界で10年に一人の天才」なんてもてはやされてきたプライドもありましたから。店はバス通りに面しているので、乗客に閑古鳥が鳴いているのを見られるのが恥ずかしくて、バスが通るたびに背を向けたり……。あれほど好きだった八百屋なのに、やめたくて仕方なくなっていました。
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お客さんが一人もいなくても大声で呼び込み
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いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術

「1%の努力と99%の感謝の気持ち、そして、『この仕事を好きになる』のプラスαがあれば夢は叶う――」

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