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傷もの野菜も捨てずに“見切り品”として売るワケ 日本一有名な八百屋の経営哲学

「今年は梅雨が早いので、玉ねぎとジャガイモが値上がりしてますねぇー」  季節の変わり目や天候不順が続くと、いつも決まってこの人の顔がテレビ画面に大きく映し出される。東京と千葉に計6店舗のスーパーや飲食店などを構えるスーパーアキダイの秋葉弘道社長だ。
スーパーアキダイ・秋葉弘道社長

八百屋界で10年に一人の天才と呼ばれた男、スーパーアキダイ・秋葉弘道社長

 高校時代のアルバイトで八百屋という「天職」と巡り合い、卒業後は東証1部上場企業に就職したものの、八百屋への愛情が断ち切れず、23歳で独立開業。笑顔の裏には、幾度もの倒産危機を乗り越えた苦労もあったが、彼の経営者としての顔はあまり知られていない。今や「日本一有名なスーパーの社長」となった秋葉氏の経営哲学を聞いた。

大学進学は断念して1部上場企業に就職

 スーパーアキダイは'92年に秋葉社長が弱冠23歳で創業した。現在、東京と千葉に6店舗のほか、パン工房や居酒屋も展開。今や年商34億円と「街のスーパー」としては規格外の優良企業でもある。従業員180人を抱え、地元に愛されるスーパーに成長したが、経営者としての原点は、高校時代のアルバイトまで溯る。 ――高校の頃は優秀な生徒だった? 秋葉:やんちゃでしたよ(笑)。学校で禁止されていたのに、茶髪にパーマを「地毛です!」って押し通していましたし。しかも生徒会長だったので、そんな頭でほかの生徒の頭髪チェックもしていました(笑)。 バイトを始めたのは親に負担をかけたくなかったし、自分のことは自分でやりたかったから。大型の青果店で働いて、モノを売る達成感や喜びを知りました。桃を一日で130ケース売り切ったときは嬉しかったなぁ。 市場では「八百屋界で10年に一人の天才」なんて言われて、当時の球界の大型ルーキー・清原和博選手にちなんで、「秋葉は八百屋界の清原だ!」なんて褒めてくれたんです。 可愛がってくれていたバイト先の社長が「原価を教えるから、好きな値段で売ってみな」って仕事を任せてくれたので、「もっと売りたいから、明日はプラス20ケース仕入れます」と、130ケース売った翌日に150ケースを仕入れました。でも、売れ残っちゃって、悔しくて、駅のほうまで出かけて売ろうとしたくらい(苦笑)。 ただ、一番大きかったのは、高校生なのに社会の一員として認めてくれたこと。バイト先の大人と対等に喋ったり、お客さんが俺を信用してくれて「今日は何がおいしいの?」って聞いてきたり、社会に参加している実感を得られました。

1部上場企業に入社も…

――では、高校卒業後はすぐに八百屋で働き始めたのですか。 秋葉:高校に東京電機大学への推薦枠があり、進学を勧められたけど、当時、妹が2人いて家計が大変だったので、そんな気にはなれなかった。なので、担任の先生に就職したいと相談したら、大崎電気工業から内定をもらえたんです。 東証1部上場だから親は喜んでましたね。いい会社で、俺が改造車で出社しても「えらい元気な高卒が入ってきたなァー」という具合で(苦笑)、上司も可愛がってくれた。 でも、大企業なので一社員の役割は代わりが利くし、自分を殺さなければならない……。やっぱり自分の力でモノを売るほうが、性に合っていると常に感じていました。 そんなとき、面倒を見てくれていた上司が、「来年はここをお前に任せて、実家に戻れる」と、近々退社しそうなのを知って、これはヤバい!と先に辞表を出して逃げたんです(苦笑)。 1部上場企業に勤めていたほうが安定するし、体裁もいいけど、八百屋をやっていたときのほうが自分らしく働いていたのを忘れられなかった。
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八百屋は俺の「天職」
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