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戦後76年目の夏。敗戦国としての歪さを忘れるな

’63年、高度経済成長期の秋葉原電気街。日本がポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争が終結してから8月15日で76年がたつが、戦後の豊かな国というアイデンティティは一時のものだったのかもしれない
鈴木涼美

写真/時事通信社

失われた時を慈しんで

 舞台の上で華やかな白いドレスの女性たちが踊り、その中心で一際目立って歌うスター歌手を照明室からうっとりと見ているのは裏方で働く一人の少女みち。戦後の日本映画第一号とされる『そよかぜ』はそんなふうに幕を開ける。  みちの歌の才能に気づいたバンドメンバーたちは、彼女を歌手にするべく特訓に励み、スター歌手の寿引退を機にみちは舞台に立つチャンスを得る。色恋に忙しい他の女の子たちに馴染めず、男たちのからかいに傷ついたみちは一度は田舎に帰ってしまうが、バンドの面々が迎えにいって、最後は舞台の中心で華やかなドレスを着て次のスター歌手としてデビューする。  そこで歌われるのが、赤いリンゴにくちびる寄せて♪でお馴染みの「リンゴの唄」。今でも、戦後復興の映像のBGMには必ずと言っていいほど使われる戦後最初のヒット曲だ。  映画のヒロインとしてこの歌を歌った並木路子は、戦争で両親とも亡くした直後であり、可愛らしい歌詞にどこか哀愁のある歌声が、多くを失い、しかし明日を生きようとする大衆の心を摑んだ。  その曲がヒットした年、つまり日本が戦争に負けてポツダム宣言を受諾し、GHQの占領下となった年から76年が経った。日本人の平均寿命を考えれば、人ひとりが物心ついてからの一生分を日本は戦後として費やしてきた。 『そよかぜ』は華やかなショービジネスが描かれるとは言え、日本がマックスに貧乏だった戦争直後に製作されたため、ドレスも舞台セットも街の様子も今から見ればド貧乏な代物で、テレビもねえ、ラジオもねえ焼け野原からスタートした戦後、本当に生活は豊かになったと思う。  私が子供の頃は、55年体制からの脱却という言葉がしきりに叫ばれていたし、体調不良で退陣してからとても元気そうな安倍晋三は戦後レジームからの脱却をしきりに叫んでいたが、私は愚かな戦争で最も辛い青少年期を過ごした者たちが、豊かで自由な時代の恩恵をひとまず受けることができた戦後76年は、日本にとって重要な、夢の休暇期間だったと感じる。  テレビもラジオも使い放題だし、五輪を機に他国に亡命をするような状況にもない。リンゴを女性に喩えた歌詞は、「リンゴは何にもいわないけれど」と、女は黙って可愛いのがいいと歌い、映画中でも「女はなんといってもお台所の仕事が一番大事」と高度成長期の専業主婦ブームを予知していたけど、今は女の話が長いと言った老政治家を端に追いやるほどの力を女たちも持っている。  人の一生分の長さは、愚かな過ちを忘れるのに十分な時間でもあった。若者たちは米国に与えられた憲法を嫌い、赤紙で行きたくない戦争に行って散っていった者たちの眠る靖国神社を心ゆくまで参拝できない立場を嫌い、いつまでも戦後の自虐的な気分でいることを嫌い、普通の国になる、という言葉をよく口にするが、日本は、300万人もの同胞を失う戦争に自ら突っ込んでいくような愚かさを持った異常な国なのだ。  コロナ禍、そして五輪後の絶望的な不況が予想される中、豊かだった戦後76年のようにはいかないだろうが、豊かな国というアイデンティティなど戦争経験者のための一時のものだったと思えばそれほど喪失感に苛まれることもない。  敗戦国の持つ歪さを堅持し、少なくとも平和な国という意地を捨てずに、この戦後という時を、間違っても「戦前」という時代にすることがないよう、夏の夜に祈る。 ※週刊SPA!8月17日発売号より ’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中

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