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<純烈物語>純烈にとって特別な場所が消えていくと、そこには巡り合わせがあることに気づく<第119回>

「地べた座り」の魅力

「私は大阪から来ているので、大江戸温泉まで純烈を見に来ること自体が旅なんです。本来なら、移動しなければお風呂に入ったりおいしいものを食べたりできないのが、ここならそのすべてを一ヵ所で味わえる。休みたくなったらゴロンと横になれるし。  その上で、畳に座りながら純烈を見るという健康センターならではの目線は、コンサートホールとは趣きが違うものでそれがよかったんですね。コロナになる前まではラウンドもあって、通常のコンサートはステージから降りてくるという感じだったのが、健康センターだとその“段差”もないのが魅力でした」  四十代の純子さんが、地べた座りの魅力をそう語っていた。プロレスも純烈のライブも、指定席だったらみんながほぼほぼ同じ姿勢でいる。  でも、みちのくの会場が体育座りや胡坐、人魚座り(横座り)とバラバラな光景だったのと同様、中村座も思い思いの体勢でリラックスできる。考えてみれば、ライブ後の撮影会におけるポーズや撮り方も千差万別。コロナの影響で他のスーパー銭湯や健康ランドにおけるコンサートがやれない純烈にとって、大江戸温泉物語はそのスタイルを継続できる貴重な場だった。  大江戸温泉物語最後の味として、お刺身天ぷら御膳をチョイスした酒井一圭はこの日、すでに一度風呂に入っていた。だが、このあと“入り納め”としてもう一度湯船に浸かってピリオドを打つのだという。

「最後だからといって、あまりエモくなりすぎたくない」

「最後だからといって、あまりエモくなりすぎたくないなというのがあったんです。大江戸温泉グループから離れる従業員の皆さんとも他の関連施設に配属される皆さんとも、まだまだつながっていたいという感覚がすごくあるので、離れ離れになることを認めていないという。  でも、DVD(の収録)とか純烈ジャーの特典用撮影とかが重なった今日だから、事故もなく一通りお客さんに喜んでいただいて締めくくれたということで、今はホッとしています。脱量感、倦怠感があることで、すごく力入れて今日はやっていたんだなという実感があるね」  撮影会を終えてステージを降りたところにスタッフが構えており、希望者はカメラに向かって大江戸温泉物語における思い出や感謝の言葉を述べるスペースが設けられていた。この取材で聞かせていただいた声だけでなく、もっともっと多くのファンによる思いが近いうちに伝えられる。  そうした記憶を記録として残す作業も含めすべてのやるべきことを無事終えるのが、酒井個人の気持ちより優先されるリーダーの使命だった。そこは、自身の感慨より先に安堵感を口にした大江戸温泉物語スタッフ・平澤誠さんと同じだ。
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純烈にとって特別な場所が消えていくと感じること
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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