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<純烈物語>純烈にとって特別な場所が消えていくと、そこには巡り合わせがあることに気づく<第119回>

純烈にとって特別な場所が消えていくと感じること

 1月に閉館した相模健康センター、そして大江戸温泉物語と純烈にとって特別な場所が消えていく。そこに酒井は、理屈で表せない巡り合わせを感じるのだという。 「特別なものから去っていくと感じるところがあるんですよね。今日(9月2日)が純烈のラストライブで5日には閉館し、10日には純烈ジャーが始まる。『ラブユー東京』の中川博之先生もそうでしたけど、純烈に力をくれた人がいなくなってしまう。でも、そこでいただいたエネルギーや思いを次につなぐことで、純烈は変化するんですよ。そういうもののタイミングがきてしまった。  純烈ジャーをやるタイミングで卒業的なことがあるのではないか、それはなんなのだろうと思っていたところに、閉館の知らせがあって、ここかぁ……と。でも、事情を聞いたら仕方がなかった。何があろうともそれを糧に前に進むという決意で始めた純烈だから、そこはありがとう、お疲れ様としか言いようがないし、忘れられるものではない思い出をここでたくさん作れたことが人生の財産」  大切な何かを失うたびに、人間は普通にあることが実は恵まれていたという現実を噛み締める。ライブのMCで好きな大江戸温泉グルメにあげていたダブルカツ丼をやはり最後も選んだ後上翔太は(昼の部のあともダブルカツカレー。どんだけ!)、そんな関係性をポジティブな言葉で表した。

「コロナによって閑散となり敗れ去るという形ではなかった」

「純烈にとって、コロナ以後の大事な活動はここだったし、温浴施設ライブも大江戸温泉のみということで、存在感が大きかったですよね。だけど今日のライブを見ての通り、コロナによって閑散となり敗れ去るという形ではなかったわけじゃないですか。それって、すごくポジティブなことだと思うんですよ。あと数日で閉館というのとは関係なく、これほど多くの皆さんに愛されているのは確かだし。  純烈にとってのホームグラウンドがなくなる形ですけど、それも活動を続けていけば新たなホームグラウンドと出逢えるかもしれない。それが大江戸さんのコンセプトのもとで逢えるのが第1希望。ニュー東京お台場 大江戸温泉物語という名前はともかく、そう言える場所で再会しましょう」  大江戸温泉物語スタッフとの挨拶も済ませ、最後の舌鼓を打ったメンバー、スタッフがいっこうにやむ気配を見せぬ雨の中を一人、また一人とあとに。ごった返した控室が数名のスタッフと酒井だけになった頃には20時を過ぎ、先ほどまで賑わっていた施設内も数えるほどの利用客となり、静まり返っている。
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“10万円飲み食い”は「計算づく」と言い張る酒井
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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