落合博満は「奇策はたった一試合だけ」なのに、なぜ策士と呼ばれるのか。その素顔を8年間密着取材した記者が語る
落合博満……プロ野球に疎い人でもこの名前を知らない人はいないであろう。現役時代は日本プロ野球史上唯一の3度の三冠王に輝き、中日ドラゴンズの監督を務めた8年間で4度の優勝と1度の日本一に輝いた名選手にして名監督である。
そんな落合氏について書かれた『嫌われた監督』(文藝春秋)が話題になっている。著者の鈴木忠平氏は日刊スポーツ記者として中日ドラゴンズ担当となり、8年間落合氏に密着した番記者だ。
我が道をゆく姿は「オレ流」と呼ばれ、時には「変人」扱いされることもあった落合氏の素顔とはどんなものだったのだろうか。著者の鈴木忠平氏にSPA!はロングインタビューを敢行。当時を振り返りながら、落合博満氏の素顔、そして彼がドラゴンズとはどんな集団に作り上げたのか、その裏側を余すことなく語ってもらった。
落合氏が監督だった頃、試合後のコメントはまるで禅問答のような言葉ばかりだったように思えます。私も旧知の記者から聞いたのですが、本当に何も喋らない、コメントをお願いしても返してくれないと頭を抱えていました。
鈴木忠平(以下、鈴木)「そうですね(苦笑)。いわゆるオフィシャルな場の落合さんってとっつきにくいというか……。でも、結局そういう場(試合後の会見など)は、ある程度いろんな意見がある中の最大公約数的なものが求められると思うんです。
例えば、今日の先発投手についてどう思いますか?と記者が質問した場合、メディアの側は、やっぱり『よくやってくれた』『期待している』と言ってもらいたい。それを察して訊かれた側もそれに応えるという予定調和が存在するんです。だけど落合さんはそういうのがなかった(笑)」
謎かけのような言葉が出てくるのは、そういった落合氏ならではの思想があったというわけでしょうか。
鈴木「負けた試合のあとに『今日の収穫は井端のゲッツー』とだけ言って去っていく。もう、何を言っているんだと。
でも、シーズン後に話を聞くと『井端は右打ちばかりしていたけど、あの試合では引っ張ってショートゴロゲッツーだった。引っ張るバッティングは井端がトンネルを抜けるバロメーターだったから、それがちゃんとできた。だから“引っ張ったこと”が収穫だった』と」
確かに納得のいく説明である。だが、「今日の収穫は井端のゲッツー」と一言だけ言われても、さすがにそれで全てを理解できる記者はいなかったのである。
記者の方でも頭の中が「?」になるわけですよね。では、選手たちは落合氏の言葉をどう感じていたんでしょうか。
鈴木「僕らも落合さんが試合後の囲み取材の際に、何かこう問いかけみたいな言葉を残すじゃないですか。意味がよくわからないときは、選手に聞きに行くんですよ。
選手が駐車場へ帰っていく時に監督に何言われたか聞くんですが、選手もほどんと『いや、何もいわれてない』ってばかりなんですよ。監督はこう言っていたけど。どういう意味ですかね?というやり取りになる」
禅問答のような返答とその真意
選手たちは落合語録をどう感じていたのか?
日刊SPA!編集。SPA!本誌では谷繁元信氏が中日ドラゴンズ監督時代に連載した『俺の職場に天才はいらない』、サッカー小野伸二氏の連載『小野伸二40歳「好きなことで生きてきた~信念のつくり方~』、大谷翔平選手初の書籍となった『大谷翔平二刀流 その軌跡と挑戦』など数多くのスポーツ選手の取材や記事を担当。他にもグルメ、公営競技の記事を取材、担当している
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