更新日:2021年11月04日 17:55
スポーツ

落合博満は「奇策はたった一試合だけ」なのに、なぜ策士と呼ばれるのか。その素顔を8年間密着取材した記者が語る

策士落合博満が誕生した試合

 落合博満というと、何をしてくるかわからない。いわゆく「策士」のイメージがあります。鈴木さんは落合野球をどのように見てきたのでしょうか。 鈴木「先日、川崎憲次郎さんと対談させてもらったのですが、落合さんが奇策をしたのは就任1年目の最初のゲーム、『川崎開幕投手』だけなんですよ。あとは本当に確率の高いものを選んで采配している。  でも、あの1試合。誰も想像しなかった『開幕投手 川崎憲次郎』。あれで奇策のイメージができてしまったんです。結局、野球は心理ゲームなんで、優位に立てる状態がずっと続いたことは落合さんにとって有利に働いていました。  やってる野球はオーソドックス。盗塁もエンドランもほとんどしない。動きは少なく、確率の高いものを選んでるだけ。  でも、監督を務めた8年間の最後まであのイメージが効いていたと川崎さんは話してましたね。ただ、それを狙ってやっていたのかは、わかりませんけど」  2007年のクライマックスシリーズ、巨人との第一戦では中継ぎで投げた小笠原孝を先発させて「奇襲」と騒がれました。しかし、実は先発予定の山井大介がケガをしただけだった……なんてこともありました。 鈴木「そうですね。あのとき山井が体を痛めてて、4日前に中継ぎで登板した小笠原を先発させるしかないって森(繁和)さんが決めたんですね。でも、(小笠原を先発させることを)監督には言わなかったらしいんですよ。  それくらい監督は(投手運用に)口出しをしていなかったようです。森さんが小笠原を先発させたのは、山井の故障という事情があり、次に左打者の多い巨人打線には左投手をぶつけるという合理的な理由があった。それを世の中が奇策と捉えて……」  先発、小笠原孝を見て原監督は絶句したなんて話もありますからね。これも「落合は奇策を仕掛ける」というイメージがあったからこそ、相手が勝手に慌てたという好例でしょう。

落合博満は冷酷無比なのか

立浪和義

引退直後、SPA!本誌の取材に答える立浪和義氏 撮影/堀場俊孝

 落合氏のもう一つのイメージに冷徹、冷酷というイメージがあります。そのイメージが付いた理由の一つにベテラン選手の扱いがあると思います。  当時、まだやれるのでは……と思われていた立浪和義氏(次期中日ドラゴンズ監督)から森野将彦氏(次期中日ドラゴンズ打撃コーチ)へ世代交代させたエピソードは有名です。 鈴木「バッティングに関して、落合さんは立浪さんを一番買ってたと思います。基本的に1本のヒットを打つより、1本のヒットを打たれないことと1点を防ぐ野球に重きを置く人だったので。そのほうが勝つ確率が高いという考えですね。  これもあとから分かったことですが。立浪さんから森野さんへの交代のタイミングはそういうことだったんだろうと」  守備力が落ちてきていた立浪氏のサードが穴になったということでしょうか。 鈴木「そうですね。でも、僕らは立浪さんの何が悪いのか、なぜ立浪さんを外そうするのかわからなかったんですよ。やっぱり名手のイメージがあったから。    しかし、立浪さんが代打の切り札になってから、落合さんは試合の一番の勝負どころで立浪さんを使いましたし、立浪さんもすごい確率で打ってましたからね。あの交代はチームの力にはなっていたわけです」  後編では、当時のチームの内情からGM落合博満、そして次期中日ドラゴンズ監督として招聘されている立浪和義氏についても鈴木氏が語る。後編に続く 文/長谷川大祐(SPA!編集部)
日刊SPA!編集。SPA!本誌では谷繁元信氏が中日ドラゴンズ監督時代に連載した『俺の職場に天才はいらない』、サッカー小野伸二氏の連載『小野伸二40歳「好きなことで生きてきた~信念のつくり方~』、大谷翔平選手初の書籍となった『大谷翔平二刀流 その軌跡と挑戦』など数多くのスポーツ選手の取材や記事を担当。他にもグルメ、公営競技の記事を取材、担当している
1
2
3
おすすめ記事