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「ギスギスしていたけど勝っていた」落合博満監督が築いたドラゴンズ黄金期の裏側を番記者が語った

 我が道をゆく姿は「オレ流」と呼ばれ、時には「変人」扱いされることもあった落合博満氏の素顔とはどんなものだったのだろうか。そんな落合博満という一人の野球人にスポットを当て話題になっている『嫌われた監督』著者、鈴木忠平氏にSPA!はロングインタビューを敢行した。  前編では、落合氏とのやり取りから垣間見えた意外な素顔を中心に語ってもらった。後編では当時のチームの内情からGM落合博満、そして次期中日ドラゴンズ監督として招聘されている立浪和義氏についても話を聞いた。
嫌われた監督

『嫌われた監督』は、元日刊スポーツ記者の鈴木忠平氏が番記者として落合博満氏に密着取材した8年間をまとめたもの。かなり濃厚な一冊である

【前編を読む】⇒落合博満は「奇策はたった一試合だけ」なのに、なぜ策士と呼ばれるのか。その素顔を8年間密着取材した記者が語る

「チームバッティングはするな」がチームのためになる

 一見するとベテランへの冷遇とも取れる交代も、適材適所を突き詰めた采配だったわけですね。 鈴木「個人を大切にするというか。川崎さんやマサさん(※山本昌)もそうで、マサさんが200勝に王手をかけてた時に、たまたま落合さんとタクシーで横浜スタジアムで向かっていたんです。その時に『お前、マサの200勝は1面なんだろうな』と訊かれまして。  でもそれって自分はデスクでもないし、わかりませんと答えたら、『個人の積み重ねの記録を1面にしないとメディアはだめだ。そうでなきゃお前らにしゃべんないよ』と。それ僕に言われてもなぁって(笑)。
日刊スポーツ

2006年9月16日に山本昌氏がノーヒットノーランをした際、最敬礼で出迎えた落合氏。個人記録に対するリスペクトする思いは強かったとも。ちなみにこの日の一面原稿を執筆しているのは鈴木忠平氏である

 和田さんの章で書いたのですが、和田さんに『チームバッティングするな』って言ったんですよ。利己の究極的な追求が最終的に集団の利益になるってことを落合さんは考えていたのかもしれませんね」

勝っているのにギスギスしたチーム

 鈴木さんから見て、当時のドラゴンズはどんなチームだったんでしょうか。 鈴木「落合さんのことを好きだとか、嫌いだとか、そういうことで繫がっているチームではなかったですね。  星野さんで強かったときにはファミリー的な強さだったと思うんですけど、落合さんの頃のチーム内はギスギスしてたけど勝っていた。それが不思議なところです」  人気はあるけど仲の悪いお笑いコンビみたいな……。まるでビジネスパートナーみたいな関係ですね。 鈴木「こういう強さもあるんだなぁって思ってましたね。中日は球団として地方球団でファミリー的なのが基本だったのですが、落合さんは『こういう強さもある』っていうことを持ち込んだんです」  日本的じゃない……みたいな感覚でしょうか。 鈴木「そうですね。仕事として確信的にやっていたようにも感じます。オフシーズンに番記者と接するときは野球と関係ない話、映画の話を饒舌にされることもある。  決して無口なわけではない。確信的に口を閉ざしていたし、仕事のためにああしてたのかなと。だから(タイロンウッズのホームランで)泣いちゃうときもあったと思う」
落合監督とドアラ

2011年、優勝を決めた横浜スタジアムでドアラと共にファンに手を振る落合氏

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GM落合博満はなぜ……
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