ボールドウィンの誤射事件から見える、アメリカ銃社会の歪
アメリカ映画『Rust』の撮影中に、俳優のアレック・ボールドウィンが小道具の銃を誤射し、撮影監督のハリーナ・ハッチンズさんが死亡し、ジョエル・ソウザ監督が負傷した。助監督は弾薬の入っていない「コールド・ガン」だと言って手渡したという
思想的に都合の悪い事件というのがあって、デリヘル業者はデリ嬢がホテルで殺されるような事件などが、整形依存嬢は整形手術中の事故死などが、ロック少女はフェスでの集団感染などが起きると、何かしら自分の愛する領域で規制強化の契機になるのではないかとうろたえる。
だから賛否分かれるものを愛する場合には率先して安全確保に動くべきで、AV業者が異様に年齢確認に厳しかったり、自主規制したりするのはそのためなのだけど、実際に事件事故が起こったとき自分の認識の甘さを反省できる人間は稀で、多くが愛する領域を守ろうと焦って判断を誤る。
アレック・ボールドウィン主演映画『Rust』の撮影現場で、小道具として用意された銃の発砲により撮影監督と監督が死傷した。事故後、真っ先に報道されたのは現場の武器管理責任者の経験の浅さや過去のトラブル、助監督が「安全意識が低いことで有名だった」という関係者の証言などだった。
エンタメ制作現場における予算削減やスタッフ不足、現場の怠慢などを鋭く指摘するような報道は、一見「こんな若い子に武器を管理させるブラックな現場だったんだ」とか「安全ガイドラインを見直さなくては」とかいう感想を持って流し読みしてしまいがちだが、見方を変えれば「銃社会そのもの」には問題がなく、扱う人に問題があったことを強調してもいる。
実際、銃の収集家であるトランプ前大統領の息子が事件直後に販売したとされる揶揄Tシャツにはこうプリントされていた。
「銃は人を殺さない。アレック・ボールドウィンは人を殺す」。
自分の思想を揺るがす事件が起きた際に、問題が構造に向かわないように個人の問題へと矮小化させる態度は、銃社会を離れて日本でも散見されるものだ。その態度が問題なのは、当然の帰結として卑劣な個人攻撃やプライバシー暴露に繫がるからで、しかもそこで攻撃されるのは加害者の人間性ではなく被害者の不注意な行動や性格であることも多い。
ポルノ撮影で死亡事故が起きたのはたまたま異常性癖の監督がいたから、イベサーでレイプされたのは男の家に入った女が悪い、と、誰かが愛する領域を守るために見境なく発した言葉は、誰かに耐え切れないほどの誹謗中傷や攻撃を向かわせることがある。構造の問題にしたい人と個人の問題にしたい人の対立は往々にして政治的であることも攻撃を苛烈にする要因である。
米国の憲法で保証される市民の武装への人々のこだわりは、所詮外国人の私には理解し難いところも多く、4割程度の市民が銃を持っているとされる現状で、銃規制は国を大きく分断しうる政治問題であり続けている。そこには建国の歴史だけでなく人種の偏差、警察権力への不信など多くのバイアスがあり、過剰な規制は憲法違反だとする反対派は保守層にとどまらない。
さらに昨年はコロナ禍における治安悪化を懸念してか、銃の販売数は過去最高となる一方、銃による死者数も増加傾向が続き、1年間で2万人近くが死亡したと報道された。
歴史的な誇りや自由と安全のための規制のせめぎ合いは同国の最も大きな課題の一つだろうが、どちらかに都合の悪い事件が個人への過剰な攻撃に繫がることだけは避けなくてはならない。事件事故は思想を強化したり批判したりするために起こるわけではないのだ。
※週刊SPA!11月2日発売号より
’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中
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