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妻の「私は家政婦じゃない」という訴えを理解できない夫たち

 

その関係に、労働や金銭とは異なる価値はあるのか

 お金を稼いでくることと家事分担の問題を考えるときに、考えなければならないことは以下です。  1.家事と労働を金銭的なものに完全に置き換える時、そこには2人が生きていることの間にある「愛やケア」を捉える視点が完全に欠落します。  2.その視点を持たない人間は、他者と親密な関わりを持つのをやめ、すべて業者に頼むべきだということです。  二人の関係、あるいは家族に業者以上の何かを求めるなら、「労働の交換」だけではない何かを求めるなら、そこには「金銭とは異なる価値」を自分もまた相手に提供する必要があるのです。  多くのパートナーシップにおいて、家事の分担が問題になっているとき、究極的な論点は「金銭とは異なる価値が私たちの間にはあるから一緒に生きているのだと、あなたは思っているか?」ということだと思います。  お互いをATMとも家政婦とも思わない「この私」と「このあなた」として生きていきたいと思っているのか、という問いなのです。  

お互いが損得を越えた、唯一無二の存在であるかどうかが大事

 その結果として家事の分担になることもあれば、依頼と感謝の徹底や、自分が稼いできた「ただのお金」を、相手の求める使い方を尊重することで「あなたと生きるためのお金/労働」に変えることになることもあるでしょう。  そういう話をすっ飛ばして「稼いだ金額を家事の分担の比率にしよう」というのは、根本的に「誰かと関係して生きる理由」を間違って理解しているのだと思います。 <被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント>  もしもパートナーが「誰のお金で飯が食えているんだ」「お金を稼いできてるのは自分だから使い道も自分で決める」というように、あなたがもうすでに提供しているものを軽んじる態度の場合は、気をつける必要があるかもしれません。  これまで「別れるんだったらこれまでに使った金を返せ」と言われたことはありませんか? これはまさに「自分が受け取ってきたもの」に無自覚な人が言うことです。もう受け取っていることを自覚できない人と生きることは、持続不可能な被搾取関係に生きることです。「最近、相手に優しくしたいという気持ちがなくなってきた……」と感じていたら黄色信号です。 <加害者のためのDV・モラハラを自覚するポイント>  非常に多くの加害者が、実際にパートナーが別居や離婚を申し出ると非常に苦しみます。孤独な朝にも、孤独な夜にも耐えられないのです。それは、単に労働の交換をしていたわけでは無いことの明確な証明です。誰かが自分のことを思ってくれていること、日常の生活を誰かと営めること、苦しいときにそれを話せたり、嬉しいことを共有できる人がいること自体が、人の幸せなのです(そう感じない人がいてももちろん良いですが、もしそうなら外注で全てを済ませるべきです)。  もしもあなたが「相手は自分をATMだと思ってる」と考えるとしたら、あなたは「自分は相手を家政婦だと思っていないだろうか」と問い直してみてください。  そして、いざ誰もいない家に一人で帰り、朝起きて、また仕事に向かい、また帰ってきて…という生活をするとして、そこに言葉にならないほどの悲しみ、虚しさ、働く意味の欠如を感じるなら、あなたはもうたくさんのことを受け取っていることに気づけるはずです。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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モラハラ、パワハラ、DV
人間関係は“ことば”で決まる

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