更新日:2022年01月19日 14:44
エンタメ

武田真治、調子に乗っていた“CMキング”時代と『めちゃイケ』への深い感謝

ありがたさに気づけなかった当時の自分

武田真治2

撮影/前 康輔

──わかりやすく調子に乗ってしまい、孤立していった感じでしょうか。 武田:そうですね。あんなふうに調子に乗れる状況って、スゴイことだったとも思います。自分が時代の波長にビタッとハマって、どんどん前に進んでいるような感覚というか。時代の最先端の波に乗るなんて、とても貴重な経験でしたね。  毎クールのようにドラマにレギュラー出演して、映画や舞台にも引き合いがあり、CMキングにもなって……という、本当に恵まれた状況でした。もっとも、当時の僕はそのありがたさにあまり気づいていませんでしたが。  結局、周囲の人々が配慮してくれて、好きなようにやらせてくれていただけなんですよね。僕はそれにほとんど感謝もせず、ただ調子に乗っていた。そのまま行き着くところまで行くと、本当に人の声って聞こえなくなってしまうんですよ。 『めちゃイケ』(1996年10月~2018年3月までフジテレビ系で放送されていたお笑いバラエティ番組『めちゃ2イケてるッ!』。武田氏は初回から番組終了までレギュラーを務める)のメンバーが「おいおい、また目がつり上がってるぞ!」と頭をひっぱたいてくれなかったら、さらに僕は勘違いしていたと思いますね。

療養中も唯一、継続した『めちゃイケ』出演

──『めちゃイケ』共演者の方々って、武田さんを特別扱いしていない雰囲気がありました。「イケメンだろうが、売れっ子俳優だろうが関係ない」みたいな。 武田:それはもう、毎回のようにひっぱたかれていましたね……。回を重ねるごとにイジられ要員、ひっぱたかれ要員になっていきましたから。 ──過労から顎関節症を患い、すべての仕事をお休みすることになった際も、『めちゃイケ』だけは出演されていました。 武田:とにかく身体もメンタルも最悪の状況だったので、会社が用意してくれるスケジュールがこなせなくなってしまったんです。でも、病院に通うにしても、家賃を納めるにしてもお金はかかるので、生活のために『めちゃイケ』の仕事だけは続けさせてもらいました。  キャストもスタッフも知った顔ですし、アットホームな現場だったので、甘えさせてもらった感じです。一時期は地元の北海道に戻って療養しながら、『めちゃイケ』の仕事のときだけ上京していたこともありました。
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「夢」も叶ってしまえば「仕事」になる
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上には上がいる。中には自分しかいない。

ふがいない自分を支えてくれたのは、「言葉」と「筋トレ」だった。

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