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阪神・淡路大震災、ハイジャック事件。2度の災禍を偶然逃れた男の追憶

震災被害を逃れた男性の告白

阪神淡路大震災

取材に応じてくれたAさん(64歳)

 今から27年前の1995年1月17日。神戸を中心に発生した阪神・淡路大震災。震災による死者は6434人、負傷者は約4万人以上にのぼる未曾有の大災害だった。 「27年前、本当は私は死んでいました。あの時に初めて命というものを考えたと思います」  大手電機メーカー元幹部のAさんは、テレビに映る追悼式典に手を合わせ、うつむきながらそう語った。男性は現在64歳。震災から27年経った今も、当時のことを昨日のように思い出すという。  1995年1月17日、男性は神戸市内の取引先と面会のアポイントを入れていた。そのため、男性は前泊するために、16日に三宮駅前のホテルを予約していた。ところが、一本の電話で、急な予定変更をすることになる。 「新幹線に乗るために会社から品川駅に向かおうとしていたら、PHSに妻から連絡が入ったんです。子どもがインフルエンザになったと。そのため、念のため検査をしてから出張することになり、17日当日に神戸に行くことにしたのです」  震災は翌朝午前5時46分に発生した。宿泊予定だった、三宮駅前のホテルは倒壊していた。 「朝起きてテレビを見て、膝から崩れ落ちたのを覚えています。私が泊まるはずのホテルが崩壊していたので。妻も安心したからなのか、私の隣で泣いていました」

半年後のハイジャック事件でも…

 男性は怪我をすることなく、無事だった。神戸出張がなくなったのは言うまでもない。男性はその半年後も、最後のところで難を逃れることになる。  6月21日に起きた、全日空857便ハイジャック事件だ。当時、53歳の男が羽田空港発、函館行きの機内で乗客など365人を人質に取り、警察当局が国内で初めて、ハイジャック事件を制圧した事案としても知られている。 「私は函館出張があり、この飛行機に乗る予定でした。しかし、搭乗券を家に忘れて戻ったことで、この飛行機には乗れなかったのです。震災の時と同じように、その後のニュースで知って、心臓が飛び出そうでした。犠牲者がいなくて、本当に安心しました」  男性にとって、1月17日と6月21日は忘れられない日となった。特に阪神・淡路大震災の日は、コロナ禍になるまでは毎年、神戸市内を訪れて手を合わせてきたという。 「私はたまたま生き延びました。亡くなられた方を思うといたたまれなくなります。一つ思うことがあるとすれば、その時々に起こるちょっとしたアクシデントは、何かのメッセージなのかもしれないときがあり、それに無理にあらがうことなく対応すれば良いのかなと思って生きています。亡くなられた方にはご冥福をお祈りしております」 <取材・文/森川勇作>
日本全国の街を練り歩く、さすらいのジャーナリスト。趣味は犬の散歩。犬のようにネタを嗅ぎつけ、世の中が少し良くなるような記事の執筆を目指す。
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