「スキルがあれば余裕で転職できる」と思っていた20代男性の誤算
上司や先輩の言っている意味がわからない。それがいったい、何の役に立つのか……。「会社」という組織にいる以上は、価値観や世代の異なる人たちと付き合っていかなければならない。ときには、その言葉が“上から目線の押しつけ”に感じてゲンナリしてしまうこともあるはずだ。
近年は多様性が尊重されるようになった。もちろん、すべてを受け入れる必要などない。そんななかで会社の上司や先輩、学校の先生など、目上の人から言われて「のちの社会人生活の糧になった」という“響いた”言葉とは——。
今回は、転職活動中に言われた思いもよらぬ一言が「転機になった」という北島裕太さん(仮名・29歳)のエピソードを紹介する。
北島さんは現在、グラフィックデザイナーとして企業のWebサイトを制作するIT企業に勤めている。
「新卒で入社した会社は、毎晩終電近くまで仕事があるブラック企業でした。でも、グラフィックソフトを使うのが初めてだったので、それを教わったことには感謝しています。残業や休日出勤の手当ては出ませんが、就業時間ではソフトの使い方を覚えきれなかったので、土曜日に出勤して習得しました。『仕事はやったほうが早く覚える』ということで、入社してすぐにデザインの仕事を任されましたね」
まさに修行とも呼べる環境だったが、結局は25歳のときに退職した。
「グラフィックデザインの事務所は、社員が僕を入れて6人ほど。社長自らもデザインの仕事と営業を兼任していました。ただ、その事務所でやっていること以上の仕事は学べないと思ったので、退社しました。
本音を言えば、激務だったので。友人が失業保険を受給しながらゆっくりしている姿を見て、僕ものんびりしたいと思ったんです」
北島さんは、ハローワークで職業訓練学校の存在を知る。
「最初は学校に毎日通うのは面倒くさいと思ったのですが、失業保険の受給も学校に通っている間は延長されるし、受講手当や通所手当も支給される。17時で帰れるし、それならば通ってみようと思ったのがきっかけでした」
北島さんは、office系のソフト(ワードやエクセル)が学べる講座を選んだ。
「グラフィックソフトを学ぶ講座もあったのですが、それならもう使えるから退屈してしまいそう。office系のソフトなら、大学の授業でやったので基礎知識もあるし、どの会社で働くにせよ、知っていて損はないと思って」
学校にはさまざまな人が在籍していた。
「若年層を優先的に選んでいたようで、パソコンが全く使えない年配はいなくて授業もサクサクと進みました。クラスには失業保険の受給はしておらず、交通費なども自費で受講している人もいましたね」
激務に疲れて転職を決意
職業訓練学校に通い始める
出版社やWeb媒体の編集者を経て、フリーライターに。趣味はプロレス観戦。ライブハウスに通い続けて四半世紀以上。家族で音楽フェスに行くのが幸せ。X(旧Twitter):@rizeneration
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