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なかやまきんに君の“筋肉留学”孤独な時期も…アメリカでネタ作りより優先したもの

アメリカでオファーをもらうも出演できず


――アメリカに行った直後は、どんな毎日を送っていたんですか? きんに君:1年目は語学学校に通いながら、ハリウッドでオーディションを受けたり、チケットを売って英語のショーを開いたりしていました。そしたらオーディションは受からなかったけど、「もうちょっと英語がしゃべれるようになったらお願いするよ」と声をかけてもらうこともあったんです。 2年目にはオーディションで知り合ったプロデューサーから「こういう番組があるから受けてみない?」とメールがきて、動画を送ったら、「めちゃめちゃ面白かった。2週間後、新しい番組が始まるからニューヨークに来てほしい」という返信がありました。「僕、学生ビザなんですけど大丈夫ですかね?」と聞いたら、「2週間でビザは用意できないから、残念だけど、またの機会に」みたいな。そんなことが3、4回あったんですよ。 ――海外進出のチャンスはあったんですね。 きんに君:アメリカで生活をするうちに、こうやったら笑ってもらえるというのが徐々に分かってきたんです。でもビザを取るのも難しいし、このままの生活を続けていても意味がないなと思い始めて。 でも、このまま日本に帰るのも良くないから、できることをやってから帰国しようってことで、だったら勉強しようと頭を切り替えたんです。ただ同じ語学学校に通っていても進歩はなさそうなので、後半の2年はサンタモニカカレッジで「キネシオロジー」(運動生理学)を学びました。

努力は必ず何かに繋がって、形になる

――その勉強が、のちの活動に活きてくるだろうと考えていたのでしょうか? きんに君:具体的にどう活かそうというビジョンはなかったのですが、いつか活きるとは考えていました。当時よく言われたのが、アメリカ中を旅したり、遊んだりしてエピソードを作ったほうが経験にもなるし、帰国してタレント活動でも活きるよ、というものでした。でも僕は勉強を取ったんです。 これも根拠のない自信で、そういう努力って必ず何かに繋がって、形になると思うんです。もちろん、この勉強がタレント活動に直接活きることはないと分かっていました。だって帰国して、「アメリカで何してたの?」と聞かれて、「サンタモニカカレッジでキネシオロジーの勉強をしました」と言っても、絶対に「へー」で終わるじゃないですか。 ――まあ面白エピソードにはなりにくいですよね。 きんに君:こういうインタビューと違って、バラエティは限られた時間で結果を出さなきゃいけない。「なんか英語でしゃべってよ」と振られたときに、もちろん自己紹介ぐらいは英語でできるんですけど、やったところで「オチは?」って言われるだけ。 だから「英語は完璧です。アーノルド・シュワル………ツェネッガー!」とだけ言って、「仕事を休んで筋肉留学をしてそれだけ? 4年間、何してたん?」みたいなツッコミが入る。そして「3年目の後半で気づいたんですけど、僕にはアメリカが合わなかったです」と言って、「遅いわ!」と再びツッコミが入る、みたいな。 今でこそYouTubeで筋トレの知識や英語力を披露して、「あのときにアメリカで勉強したから説得力があるよね」と言ってもらえるんですけど、帰国当時はテレビでアメリカで勉強したといっても上手く伝わらないので、自分から言うこともなかったです。 ======== 瞬発力が要求されるお笑いの場と、人々の知りたい欲求を満たすYouTubeとを巧みに使い分けるベテランならではの柔軟さ。きんに君が芸人という職業を、戦略的にキャリアデザインしていることが伺える、筋肉留学のエピソードだった。 【前回記事】⇒なかやまきんに君、吉本退所後に殺到したオファーに危機感「筋トレする時間がない」 取材・文/猪口貴裕
出版社勤務を経て、フリーの編集・ライターに。雑誌・WEB媒体で、映画・ドラマ・音楽・声優・お笑いなどのインタビュー記事を中心に執筆。芸能・エンタメ系のサイトやアイドル誌の編集も務める。
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