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上原浩治の“書道アート”が大反響。原愛梨のスランプを救った「母の言葉」とは?

初めての挫折を味わい、スランプに陥ったことも……

 しかし、高校3年時には思わぬスランプも経験することに。  これまで受賞してきたのは書道の中でも「漢字」のジャンルだったこともあり、新たに「仮名文字」のジャンルへ挑戦することを決意。  慣れ親しんだ太い筆ではなく、繊細な筆さばきや集中力が問われる小筆を使いこなすため、ひたすら練習を続けたという。  だが、いざ大会本番を迎えた際、あまりの緊張感で納得のいく文字が書けず、良い結果を出せなかった。  以来、トラウマとなってしまい、筆を持つ手が震えてしまうほどの苦労を味わったという。 「幼少期から頑張ってきた書道で、初めて経験した挫折でした。仮名文字に対して、なかなか苦手意識が拭えず、スランプに陥ってしまったんです……」  そんな原さんが再起するきっかけを与えたのが、熱心に書道に取り組む姿をずっと見守っていた母だった。 「結果を出せていなくても、経験は自分の糧になっているので頑張りなさい」  そう言葉をかけられた原さんは、気持ちが吹っ切れたそうだ。 「結果を追い求めすぎず、経験を重ねていけば、いつかきっと自分の思い描いたようになる。そう思うと、心が軽くなったんですね。また、かつての恩師に『積み上げた経験は一生の財産になるので、自信を持って書道に取り組んでほしい』と言われたのも後押しになった。大学生のときに仮名文字の大会に再度出場したところ、念願の最高賞を受賞することができたんですよ。スランプを経験したことで、またひとつ自分が成長できた瞬間でした」

銀行員を辞め、書道アーティストとして活動を始めた理由とは?

 大学卒業後、原さんは新卒で銀行に就職するも、“爆弾”と揶揄されるほど仕事ができずに日々悩んでいたという。  そんな状況を見かねた上司が、原さんの書道の腕を買い、顧客用の宛名書きをする業務を与えてくれたそうだ。 「会議室でお客様の宛名をひたすら書いていました。ただ、それだけでは物足りないと思い、お客様にも手紙を添えていたんですよ。そうしたら後日、お客様から喜びの声が殺到して大評判になったんです。このときに『自分の書いた文字で人を感動させられるんだ』と初めて思えるようになりました。  今までは自分基準で書道を考えていたのが、相手あっての書道だということに気づいたんです。人に感動を与えたい。思いを伝えたい。幼い頃から抱いていた『書道が得意な有名人になる』という夢を追い求めるため、銀行を辞めてフリーで書道をしようと心に決めました」  しかし、いざ書道を武器にフリーで活動しようとしても、営業先の開拓や仕事を獲得するのはなかなかうまくいかない。  そこで、自分の活動をサポートしてくれる事務所に所属した方が、本来の書道に集中できるのではと思い、今も所属する芸能事務所のツインプラネットに、自ら足を運んで書道を広めるための活動をしたいと志願を行ったという。 「自分で市役所とかに営業もしていたんですが、やはり事務所に入った方が、営業やPR、スケジュール調整やマネジメントなども対応してくれるので、書道に集中できると考えたんです」
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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