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谷沢健一が明かす星野仙一との確執。「星野のせいで監督になれなかった」の真相は

39歳で迫られた引退

 谷沢に引導を渡したのは星野だという話がファンの間では知れ渡っている。その真意についても谷沢に聞いてみることにした。 「当時よくメディアに報じられたのは、『監督谷沢の場合、一選手として選手谷沢を使えるか』と星野さんに言われたことがいかにも引導を渡されたように報じられたけど、星野さんと会ったのは球団に呼ばれた後だから。会ったときはすでに引退を決めていた。でも引退を決めてからは球団の態度がコロッと変わった。引退試合はどうするとかね」  ‘86年オフに星野政権が誕生し、大ベテランである谷沢に星野が直接引導を渡したというのが定説のはずだ。星野が谷沢と会談し「監督谷沢は選手谷沢を使えるか?」を問いかけたことで、暗に選手としての衰えを認めさせて現役引退へ追い込んだとも言われている。でも実際は、星野に言われる前に引退を決意していたのだ。  現役最後の’86年シーズンは、中堅の川又米利の台頭もあって谷沢はベンチを温める日々が続いた。 「10月に球団に呼ばれたんです。そしたら次の監督は星野さんで、谷沢くんは構想に入ってないと。でも年俸がこれだけでいいなら残っていいですよと言われた。来季の構想に入ってないけど、年俸次第で残っていいなんて、意味がわからない。こんなあやふやに考えているんだと思ったら、もう辞めてもいいやと」  ‘74年、’82年優勝の大功労者であり、中日の歴代打撃各部門の上位を独占している谷沢に対して、この球団の〝塩対応〟はありえない。引退する年は、本塁打以外前年度から少し落とした程度で、出場94試合で打率2割7分3厘、打点35、本塁打13本。まだまだ常時出場できるチャンスがあれば、二割八分以上、本塁打20本、打点50はクリアできる力はあった。他球団への移籍を考えなかったのかを聞いてみると、驚くべき返答が返ってきた。

自ら移籍先を探して……

「早稲田大学の石井藤吉郎監督と西武の根本(陸夫)さんが同じ水戸出身で仲が良く、石井監督に口を聞いてもらいました。根本さん曰く、『チームの若返りを断行しベテランを切っていくなかで谷沢くんを入れるわけにはいかない』と。他のチームを探しても良かったんだけど、脚の具合もあったし、これで引退しようと決意した」  つまり、谷沢には他球団に移ってでも現役を続けたい意思があったのだ。当時、プロ野球選手の引退のボーダーラインが35歳前後であり、32歳くらいからベテラン扱いされていた。江川、掛布雅之といった’80年代を代表するスター選手であっても32〜33歳で引退する時代だった。そう考えると、39歳の谷沢は超大御所だ。環境が整えばやれると思う自信も素晴らしいが、まさか他球団への移籍志願があり、自ら動いていたことに仰天してしまった。  プロ野球界には〝生え抜き〟という言葉がある。入団した球団にずっと所属している選手のことを指す。この生え抜きの選手は、ファンとともに成長過程を共有できることで球団の顔になり、球団の歴史を作っていく存在だ。当然、生え抜きのスターとして球団の顔になるためにはそれ相当の実力が必要で、長年チームに貢献するプレーヤーでなくてはならない。「名球会に入るほどの選手は球団側からも厚遇されるものだ」と勝手に想像していただけに、生え抜きの谷沢が最終的に冷遇される形だったことにショックを受けた。 「ベテランになって力が衰えてくれば出してしまう……」  谷沢がゆっくり噛みしめるように呟く。  結果的には中日一筋で終わった。しかし、谷沢クラスでさえ「何かあれば球団から放り出される」というプロの厳しい現実を念頭にプレーしていたのだと知り、あらためて球界の無慈悲さを痛感させられた。  谷沢はこの引退劇においてメディアの商業主義も感じたし、何よりも球団の本質がわかり大きな組織の構造が一筋縄でいかないことを身に染みて知った。球団側にしてみれば、谷沢がゴネでもしたらどう対処すればいいか頭を悩ますところを、本人がすんなりと引退してくれたことで次期監督の星野にも面子が立ち、面目躍如といったところなのだろう。いつの世も企業論理が優先だ(続く)。<取材・文/松永多佳倫>
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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