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90歳のレジェンド・広岡達朗が今明かす長嶋茂雄との関係性。”打撃の神様”に嫌われて

 門田博光、田尾安志、広岡達朗、谷沢健一、江夏豊……昭和のプロ野球で活躍したレジェンドたちの“生き様”にフォーカスを当てた書籍『確執と信念 スジを通した男たち』。 大男たちが一投一打に命を懸けるグラウンド。選手、そして見守るファンを一喜一憂させる白球の行方――。そんな華々しきプロ野球の世界の裏側では、いつの時代も信念と信念がぶつかり合う瞬間があった。あの確執の真相とは? あの行動の真意とは? プロ野球界に飛び込んで68年、御年90歳を迎えたレジェンドである広岡達朗が今明かす”信念”の行方とは――。(以下、同書より一部編集の上抜粋)。

広岡が球界に残した「3つの功績」

 広岡は今のプロ野球を大上段に斬ることができる唯一無二の人物だろう。〝ミスター〟こと長嶋茂雄であろうと〝世界の王〟こと王貞治だろうと、広岡にかかればひとたまりもない。かつて「喝ッ!」と言って世間を騒がせていた張本勲なんか、広岡から見ればひよっこ同然だ。  今も週刊誌の連載を抱え、原巨人をこき下ろすたびに世間から〝老害〟と見られているが、広岡ほど誰にも忖度なく堂々持論を投げつけられる野球人は他にいない。’54年に巨人に入団して以来、実に68年もの間プロ野球に内外から携わり続けるがゆえの矜持でもある。  広岡が日本プロ野球史に残した偉大な功績が三つある。  まず、両リーグで監督を務め、チームを日本一に導いたのは三原修、水原茂、広岡達朗の3人しかいない。古巣の監督ではなく、セ・パの弱小球団を請け負ってともに2年半以内に優勝させたのは、後にも先にも広岡ただひとりだ。  そして、巨人入団1年目に残した打率3割1分4厘は、現在でも大卒ルーキーの最高記録でもある。

指導した選手の中から、後の監督経験者を16人も輩出

 特筆すべきは3つ目だ。広岡は監督時代に指導した選手の中から、後の監督経験者を16人も輩出している(田淵幸一、東尾修、森繁和、石毛宏典、渡辺久信、工藤公康、辻発彦、秋山幸二、伊東勤、田辺徳雄、大久保博元、若松勉、大矢明彦、尾花髙夫、田尾安志、マニエル)。これは、史上空前のV9を成し遂げた川上哲治、知将・野村克也、闘将・星野仙一でもなし得なかった数字だ。  監督にとってもっとも重要な責務は、チームを勝利に導くために選手を育てていくこと。これはチームを、ひいては野球界を次世代に繋いでいくのと同義でもある。その観点から言うと、広岡は指導者の責務を誰よりも果たしたことになる。一昨年まで4年連続日本一を果たした福岡ソフトバンクホークス・工藤公康前監督は、西武入団直後から広岡野球の薫陶を受け、その教えをベースにチーム作りを手がけてきた。  広岡は誰よりも、プロ野球界に多くの〝人〟を残し、プロ野球の発展のために今なお尽力している。だからといって、その生き様は必ずしも〝聖人君子〟と呼べるものではなかった。むしろ自身の信念を貫くためには監督や偉大な先輩との衝突を辞さない、プロ野球界での〝尖った男〟の先駆けだった。
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ホームスチール激怒事件が勃発
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


確執と信念 スジを通した男たち確執と信念 スジを通した男たち

昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊


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