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紅白歌合戦が抱える「すべての世代に共有される音楽」というムリゲー

「#紅白見ない」が生まれる時代背景

 ツイッターで「#紅白見ない」がトレンド入りした。人選に不満のある人たちが一斉に声を上げた。「#ちむどんどん反省会」と一緒の構図である。悪いことでは決してない。  そもそもSNSの目的は意見交換のためでもあるからだ。マスコミにだけ発言権がある社会のほうが不気味で不健全だ。もちろん、公序良俗に反する発言は誰であろうが許されない。  SNSより大きいのは音楽が共有されない時代になったこと。若者の間で人気の曲を中高年が知らないから、軋轢が生じる。その逆もある。音楽に関すると、世代間にフォッサマグナが出来てしまった。  なぜか。1980年代までなら、子供の求めで渋々『ザ・ベストテン』(1978~1989年)などの音楽番組を観た親たちがサザン、世良公則&ツイスト、ジャニーズ勢の光GENJI、男闘呼組らを知った。その音楽を理解する親もいた。

音楽は「共有」から「一人で聴く」へ

 一方、1979年に発売された携帯型音楽プレイヤー「ウォークマン」(ソニー)と類似商品によって、音楽を一人で聴くという文化が徐々に浸透し始める。  かつて音楽はステレオやラジカセで聴くのが当たり前だったが、一人で聴くようになり、親子間や家族内で音楽が共有されなくなった。音楽が世代を超えにくくなった。  昭和期なら親が子供の好きなアーチストを知っているのは、当たり前だった。一緒に聴くことがなくても音漏れするからだ。今、子供の聴いているアーチストを知る親はどれだけいるだろう。  有線放送を流す喫茶店や飲み屋も減少の一途。かつては有線放送が流れる喫茶店に長居するだけでヒットしている曲が自然と分かった。聴きたくなくても若者向けの曲が耳に飛び込んできた。今は違う。  携帯型音楽プレイヤーはデジタルの「iPod」(2001年)に進化し、より便利になった。さらに音楽は「iPhone」(2007年)などのスマホで聴けるようになり、共有するものでなく、個人が所有するものになった。例外的に共有するのは同世代の仲間や友人くらいである。  音楽が共有されない時代にどの世代も納得する紅白の人選を行うのは至難だ。若者の間で「IVE」などがいくら売れていようが、それを中高年以上が知るのは簡単ではないからだ。紅白の人選について林理恵メディア総局長(旧放送総局長)は「今年のミュージックシーンで活躍された、多彩で豪華な方に出場いただく」と説明し、出場歌手の偏りを指摘する声があることについては「新しい知識を仕入れる機会にもなれば」と語った。  本音だろう。もはや世代を超越して音楽を共有できる可能性が残された場は紅白くらいなのだ。
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通常の音楽番組も大苦戦
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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