更新日:2023年03月30日 14:41
スポーツ

世界一からスタートする、佐々木朗希の新たな一年

子供の頃は、華やかな賞とはまったく無縁だった

WBC優勝後の佐々木朗希と吉井投手コーチ。3月31日からはパリーグが開幕、佐々木朗希は千葉ロッテマリーンズの先発ローテーションの中心として、吉井コーチは監督としてのシーズンが始まる

WBC優勝後の佐々木朗希と吉井投手コーチ。3月31日からはパリーグが開幕、佐々木朗希は千葉ロッテマリーンズの先発ローテーションの中心として、吉井コーチは監督としてのシーズンが始まる

 プロ初先発は2021年のZOZOマリンスタジアム。初勝利は甲子園。本拠地では20試合に先発。その他に楽天生命パークで4試合。京セラドームで3試合。PayPayドームで2試合。東京ドーム、甲子園で1試合。プロ野球の世界で2021年と2022年の2年間で合計31試合に先発をして、2023年には日本代表として東京ドームとフロリダのマウンドを踏んだ。  テレビ観戦を含めると何百万人が見つめる、そんなキラキラと輝く華やかなマウンドと同じように、山間の静かな小学校の校庭の中にあるマウンドでピッチャーとして初めて登板をした日のことが、佐々木朗希の心には大事な宝物として胸に残っている。  緊張したがワクワクもした。打者と対戦することが楽しかった。あの日、原点と言える心の動きがあった。その想いとこれまで正直に向き合い、生きてきた。そしてWBCでも緊張の中で同じように、なんともいえない高揚感を味わった。 「ピッチャーをやらせてもらえなかったらプロにはいっていない。今はないですからね。もちろん、あの時はプロに入るとか想像もしていないですし、夢としても思っていないし、口にしたこともない」  佐々木朗希は今でも、プロ野球の中心に自分がいることを俯瞰して信じられないと思うような時がある。普通に進学をして普通に就職をして普通の生活を営む。子供の時から、そういうイメージしかもっていなかった。昨年、ある会見でメディアから「子供の時にどのような賞を受賞したのか?」と問われた時も「記憶にないです」と答えた。それは本当のことだった。振り返っても、そのような華やかな賞とは無縁だった。 「兄や弟はよくもらっていたような記憶はあるけど、自分はまるでない。スポーツ選手とかで、よく家にトロフィーとか賞状がたくさん飾られているような光景とかを目にするけど、自分はまったくないと思う」と笑った。しかし、今や完全試合の勲章を手にしていれば、世界一のメダルも獲得した。アメリカ・マイアミのグラウンドで最高の瞬間を味わい、全身で幸せを感じることもできた。

WBCでの経験は、プラスになることばかりだった

 3月23日に帰国すると、ロッテ浦和球場で調整を行い、3月28日に一軍本隊に合流。さっそくブルペン入りして約20球、投げ込んだ。練習前の選手たちが集合をする中、「マリーンズでシャンパンファイトができるように頑張りたいです」とあいさつをすると大きな拍手に包まれた。世界一の余韻に浸る時間は終わった。佐々木朗希はすでに次に向かい進んでいた。  練習後のメディア対応では「自分を侍ジャパンのメンバーに選んでくれた人たちに感謝です。21歳で本当にいい経験ができたし、楽しかった。凄い緊張感がある中で試合をして、その中で楽しむこともできた。短期決戦独特の集中した雰囲気。1つのプレー、1個のアウトの大事さ。独特の盛り上がり。いろいろな人に話を聞くこともできた。野球選手として過ごしていく中で、この経験はプラスになることばかりでした」と笑顔で語った。  その表情は、少し大人になったように見えた。吉井理人監督は「いい意味で傲慢になったんじゃないですか。自信がついた」と独特の表現で投手コーチ時代から知る若者を語った。佐々木朗希の4年目のシーズンがまもなく始まる。令和の怪物はその異名通りに毎年、人を驚かせる投球を見せる。  2023年シーズンは、世界一の称号と世界一のメンバーからさまざまなことを吸収し、怪物はさらなる進化を遂げる特別な一年となりそうだ。しかし、それはこれまでの彼が歩んできた人生と同じようになにが起こるかは分からない。周囲の想像以上のドラマが待っているはずだ。世界一から、新たな一年は幕を開ける。 【17の閃光~佐々木朗希物語~ 第13回】 文/梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報室)
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千葉魂vol.8

どんな時もあきらめない。マリーンズ選手たちの素顔と挑戦の日々

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