更新日:2024年07月30日 14:36
仕事

“もう一人のオオタニサン”は「弱小野球部から世界へ」。数奇なキャリアを追う

食い下がって練習に飛び入り参加

大谷尚輝

12年イタリア、飛び入り参加した練習後にネットゥーノの選手たちと記念撮影【左から3人目】(本人提供)

その日は試合はなかったが、球場ではセリエAの強豪ネットゥーノ・ベースボールクラブの選手が練習しており、コーチらしき人に「一緒に野球がやりたいです!」と声をかけてみた。当然、「ダメ」と断られたが、何度も食い下がると、ついに向こうが「変なジャポネーゼ(日本人)だな。本当に野球できるの?」と折れた。 草野球のユニフォームを着て飛び入り参加した練習では、イタリア代表選手や元メジャー選手、キューバ人選手らの次元が異なるプレーに圧倒されつつ、さまざまな国から集まった選手たちが、言葉ではなく野球で心を通わせる姿に、今まで味わったことのない感情が込み上げた。 「この場にずっといたい。彼らともっと野球がしたい」「この街に住めば、今日みたいな面白いことがたくさんあるはず」 この至福の時間が、大谷さんを突き動かした。帰国後、会社に辞表を出し、貯金を握りしめて翌13年春にネットゥーノへ舞い戻った。 「ラテンの国だし、行けばなんとかなると思ったんですよね」

「球場の空き部屋」に住む許可をゲット

アポイントはなかったが、今度は試合がある日に球場を訪れた。選手が気づいて「また来たの?」と声をかけてきたが、会話はそれだけ。試合が終わると、球場に1人取り残されてしまった。 途方に暮れてトボトボと街を歩いていると、地元の少年野球のコーチから声をかけられ、元教え子のネットゥーノの選手を呼んでくれた。 大谷さんは選手に「この街が気に入った。半年間滞在するつもりなので、家に泊めてほしい。ダメなら、球場の片隅でもいいから」と頼み込んだが、選手は「とりあえずホテルに泊まってくれよ……」と大呆れ。 だが、奇跡が起きた。選手から「チームの雑用をしてくれるなら、球場の空き部屋に住んでいいってさ」と連絡がきた。やっぱりラテンの国だった。
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徐々に愛されるマスコットキャラのような存在に
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1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿

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