更新日:2024年07月30日 14:36
仕事

“もう一人のオオタニサン”は「弱小野球部から世界へ」。数奇なキャリアを追う

ポーランドでは先発ピッチャーも経験

大谷尚輝

22年クロアチア、ヒットを放つ大谷さん(本人提供)

もちろん翌年もプレーするつもりだった。しかし、そこにコロナ禍が直撃した。やむなく20年は日本でアルバイト生活を送り、21年はポーランド代表監督も務めた友人の渡辺龍馬さんの誘いを受けて同国のシレジア・リブニクでプレー。助っ人外国人として、人生初の先発ピッチャーも経験するなど、投打に渡って活躍した。 そして、22年。シレジア・リブニクから選手兼監督としての誘いもあったが、大谷さんは迷わずカルロヴァツのオファーを受けた。「衰えた感じは全くなかったのですが、何度も肉離れに苦しんでいましたし、職業選手としての最後の年になると感じていました。だから、どうしてもクロアチアで幕を閉じたかった」

自身の「特製カレー」が球場で販売されることに

大谷尚輝

22年カルロヴァツのチーム関係者にカレーをふるまう大谷さん【写真奥】(本人提供)

ラストシーズンもリーグ優勝の原動力になり、国際大会では打率4割超、再び盗塁王を獲得した。プレー以外にも大きな出来事があった。この年からホームゲームで、大谷さん特製のカレーを販売したことだ。 「コロナ禍でスパイスカレーを作るのにハマりだして、クロアチアのベゲタという調味料を使ったカレーをよくチームメイトに振る舞っていたんです。それを知ったチームが『球場で販売しないか?』って声をかけてくれたんです。わざわざジャパンデーまで開催してくれ、販売してみたらすごく好評で、ホームゲームで毎回販売することになりました。試合のない日も、チームメイトの職場でお弁当販売をお願いされるほど人気でした」 チームからは「まだ選手としてやれる」「どうしても引退するならコーチを任せるし、球場でカレーを販売すればいいじゃないか」とさまざまな形で慰留されたが、大谷さんは海外転戦に区切りをつけて帰国することを決意。
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現在はクロアチア料理店を経営
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1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿

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