スポーツ

メガホンやゴミがグラウンドに投げ込まれ…元ベイスターズ球団社長が語った「98年優勝当時の舞台裏」

DeNA25年ぶりの優勝を信じてやまないひとり

1998年の遺伝子

佐々木と谷繁のバッテリー

 19年越しの夢だったセ・パ交流戦でDeNAが初優勝を遂げた横浜スタジアムの雰囲気は、1998年の優勝当時を彷彿とさせる。優勝当時の球団社長、大堀隆(80歳)も当時を懐かしみつつ、25年ぶりの優勝を信じてやまないひとりだ。 「ファンの、選手の、そしてフロントのみなさんの永い夢であり、念願であったセントラルリーグの制覇、日本一がとうとう実現しました」(原文ママ)  いささか古い話で恐縮だが、かつて横浜ベイスターズが38年ぶりのリーグ優勝、日本一を達成した1998年冬、球団社長だった大堀隆が球団全従業員に宛てた手紙が筆者の手元にある。

激励会での大堀のスピーチは…

1998年の遺伝子

’02年のオーナー会議で巨人・渡邉恒雄オーナー(左)と並ぶ大堀隆(当時)

 時計の針を25年前に戻してみる。1998年のシーズン開幕前、球団主催の激励会にて大堀はこんなスピーチをした。 「一昨年(1996年)は春の珍事と言われました。昨年(1997年)は、真夏の夜の夢に終わりました。今年(1998年)は実りの秋を迎えます」  新生ベイスターズの船出から3年間指揮を執った近藤昭仁に代わって大矢明彦を監督に迎えた1996年は序盤こそ好調だったが、終わってみれば55勝75敗の5位。翌1997年は猛追及ばず72勝63敗の2位。しかし、前年から17勝の上積みに、選手たちは手応えを感じていた。
次のページ
連勝中でも翌日の勝利は不確実。まるで「水商売」
1
2
3
4
1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

記事一覧へ
おすすめ記事