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メガホンやゴミがグラウンドに投げ込まれ…元ベイスターズ球団社長が語った「98年優勝当時の舞台裏」

連勝中でも翌日の勝利は不確実。まるで「水商売」

1998年の遺伝子

1998年、優勝時の胴上げ

 プロ野球ビジネスは難しい。連勝中であっても、翌日の勝利は不確実であるし、チケットが完売していても、雨天中止となれば売り上げは吹っ飛ぶ。故にプロ野球ビジネスは、昔から水商売に例えられてきた。  球団社長に転身して5年目の春。中部慶次郎オーナー(当時)から「あなたもだいぶ水商売になじんできましたねえ」とからかわれた大堀は、今、それを懐かしそうに振り返る。 「1996年の春先は例年になくチームは好調で、これは!と期待したものの、当時流行したインフルエンザに主力が罹患。その後失墜し、終わってみれば定位置のBクラスでした。翌1997年は首位を行くヤクルトスワローズを夏場に猛追し、大いに期待が高まりました。  ペナント終盤、本拠地・横浜スタジアムで首位スワローズを迎えた天王山では、横浜は街を挙げての盛り上がりを見せましたが、雨のなかスワローズの石井一久投手(現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)にノーヒットノーランに抑えられ、その期待は真夏の夜の夢に終わったのです」

メガホンやゴミがグラウンドに投げ込まれる事態に

 大堀は、記憶を紡ぎ続ける。 「しかしこの3連戦は、私にとって忘れられないゲームになりました。降雨中断をはさんだ翌日のゲームでは前日の、石井投手に続いてこの夜も苦戦する打線にイライラを募らせたライトスタンドのファンから、メガホンやらゴミやらがグラウンドに投げ込まれました。  フロントはもちろん、監督の指示も一切なかったにもかかわらず、ベンチから選手たちがビニール袋を持って飛び出し、ゴミを拾いはじめたのです。  その後、試合は再開し、結果は連敗となりましたが、翌日の試合前、ライトスタンドに『選手のみなさんごめんなさい』という横断幕が掲げられました。それを見て私は涙がこみ上げました。ベイスターズが、ファンと一体化したチームに成長した何よりの証しだったからです」
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チーム名からの企業名排除は大堀の先見力か?
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1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

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