「自力優勝の可能性が消滅した」DeNA。1998年の優勝を知る首脳陣たちが“前半戦”を振り返る
25年ぶりのペナント制覇に向け前半戦を43勝38敗2分、3位で折り返した横浜DeNAベイスターズ。1998年の優勝を知る首脳陣たちが前半戦を振り返る――。(情報は週刊SPA!8月1日号発売時)
好調のDeNAベイスターズに、試練の夏が訪れた。7月15日、前半戦を締めくくる広島東洋カープとの3連戦初戦。
1点リードの9回表、セ・リーグ3位の20セーブを記録していた抑えのエース山﨑康晃が、同点本塁打を含む2安打2失点で逆転負けを許すと、続く2試合も1点差の惜敗。今季初となる本拠地横浜での3連敗で前半戦を終えた。三浦大輔監督は大きな決断を下した。
「クローザーを外します」
悔しい逆転負けから一夜明けた16日。三浦大輔監督は、試合前の囲み会見で言いよどむことなく、明言した。
「(山﨑は)メンタル的なものもあるかもしれない。本人も苦しんでいた。結果が求められる、しんどいポジションだと思うが、チームとして戦っている以上、このまま(山﨑をクローザーとして)続けていくわけにはいかない」
非情にも聞こえるコメントだが、チームの勝ちを確定させる抑え投手の仕事は、かくも重い。セーブ機会で登板した投手が、同点または逆転を許した場合に記録されるブローン・セーブ(Blown Save)は、セーブ失敗を意味する。
今季の山﨑は2BS。勝負の世界にタラレバはないが、2試合をクローズしていればベイスターズはもう少し好位置で後半戦を迎えた公算が高い。
優勝した1998年のチームには絶対的な抑えがいた。
優勝前年の1997年から1998年の2シーズン、守護神として君臨した佐々木主浩は2シーズン合計で4勝1敗、83セーブ、救援失敗わずか一度という無双ぶりを誇った。当時の読売巨人軍、長嶋茂雄監督をして「8回までに試合を決めろ。向こうには大魔神がいる――」と言わしめたほど、守護神の存在は絶対なのだ。
三浦大輔監督が下した大きな決断
優勝した98年のチームには絶対的な抑えがいた
1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか
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