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東大生が考える「映える/映えない」の判断基準に囚われると“人生がつまらなくなる”ワケ

 皆さん、こんにちは。東京大学経済学部に通いながらWebマーケティング会社を経営する鶴山英樹と申します。
鶴山英樹

現役東大生でWebマーケティング会社を営む鶴山英樹

 エリートサラリーマンの道を捨て、みずから起業を選んだからこそ可能となったフットワークの軽さを活かして自由に日々を楽しむ傍ら、“令和の時代において、個人が幸福度を高めるための最適な戦略とは?”をテーマに情報発信しています。

「映える」ことしかできない人は幸せになれない

 私は、人生についてかなりシンプルに考えています。やりたいことはやればいいし、やりたくないことはやらなきゃいいだけ……。一方、現在は多くの人が「映え」に振り回されすぎているような気がしてなりません。  自分の行動をSNSに投稿した際に「いいね!」がもらえるのかどうか。要するに、他人の評価(世間体)が軸になっている……。しかし、それでは決して幸せにはなれません。 「映える」という言葉は三省堂「今年の新語 2018」で大賞に選ばれ、今や若者から一般世間まで浸透しています。その意味も幅広く使われるようになっており、インスタ映えに限らず、ていねいな暮らしや、意識の高い感じ、なんとなくスゴそうなことなど、“他人から見てカッコがつくこと全般”を「映える」と言うことがあります。  そんななかで「映えないことは恥ずかしいからできない」という人が意外と少なくないのですが、今回は、映えるかどうかなんて気にせず、やりたいと思ったことはやろうぜ! というお話です。

「映える/映えない」の判断で行動を変えるな

鶴山英樹

“アフタヌーンティーに行きたい!”と思って実際に行く筆者。写真は映えている

 人生の最優先事項は、私は“幸福度”だと考えています。「面白い」と感じられることがあればやるべきなんです。やってみて「面白くない」と感じたらやめればいいし、やりたくないことはやらなくてもいい。 (もちろん、生きていくうえで義務や責任としてやらなければならないこともあるはずですが、基本的な考え方としては、できるだけシンプルにありたいですね)  日々の生活を送るなかで「これやってみたいなあ」と思うことが湧いてくるはずですが、そこでネックとなるのが「映える/映えない」の判断。映える場合は問題なく行動するのでしょうが、問題は映えない場合です。 しかし、「映えないからやらない」なんてもったいないんです。
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いつの間にか“他人の人生を生きている”ことに…
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東京大学経済学部卒業。大学2年時よりWebマーケティング分野でビジネスを開始し、そのまま売上を伸ばして法人化。現在は、主に集客や顧客単価向上などの施策全般を受託する。何より「自由であること」を大切にしており、社員は自分1人のみで、その他の業務は外注。趣味・特技は格闘技、コスプレ、折り紙、ルービックキューブ、ゲームなど。X(旧Twitter):@mr04todai2020、Instagram:@mr04todai2020

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