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東大生が考える「映える/映えない」の判断基準に囚われると“人生がつまらなくなる”ワケ

いつの間にか“他人の人生を生きている”ことに…

映えていない写真

カラオケで友達と飲んでめちゃくちゃ満喫している筆者。写真は映えていない

 そもそも「映える/映えない」で行動を決めるのは、前述のように他人の評価(世間体)が軸になっています。 「映えないことは恥ずかしいからできない」という人は、端的に言えば“他人の人生を生きている”状態です。  一度きりの人生、本当に取るべき選択肢として、何よりも優先すべきは“自分の気持ち”なのにもかかわらず、他人の評価(世間体)ばかりを気にしてはいけません。  意外と見落としがちなのが、「映えるけど、自分の好みではないんだよなあ……」というケース。これも私としては、あえてやらなくていいと考えます。 「映えるけど、やっていてつまらない」 「映えるけど、食べると不味い」  そんなものを積み重ねたところで、幸せになれるとは思いません。「映える」という他人の評価に振り回されて、最も大切な自分の感情を軽く扱ってもよいのでしょうか? 「やっていて楽しい」 「食べると美味しい」  そういう瞬間を積み重ねていけばいいのだから、やりたいことをやればいいし、食べて美味しいと感じるものを食べればいいのです。

映えないことをSNSに投稿すると自分の価値が下がる?

 たまに「映えないことをすると(SNSに投稿すると)自分の価値が下がる」という話を聞きます。たとえば、映えないイベントに参加したり、映えない店で食べたり……。  私としては、「人としての価値が低い!」というほどの影響はないと思います(※よっぽど公序良俗に反した投稿を除いて)。ですので、やはり自分の「やりたい」を優先したほうがいいと考えます。  むしろ、“たかがそれごとき”で自分の価値が下がってしまうというならば、SNSのブランディングに頼りすぎで、見えない敵から怯えている。見栄や虚勢、肩書きなどで必死に塗り固めているけど、肝心の「自分」はあまりにもモロいのかもしれません。   もちろん、承認欲求を満たすことで幸福度が高まるのも事実なので、「承認欲求をゼロにしよう!」という話ではありません。あくまで、バランスの問題です。他の誰でもない自分の人生なのに、他人の目線や価値観が最優先されてしまうなんて本末転倒ですよね。
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極端に“わがままに生きよう!”ということではない
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東京大学経済学部卒業。大学2年時よりWebマーケティング分野でビジネスを開始し、そのまま売上を伸ばして法人化。現在は、主に集客や顧客単価向上などの施策全般を受託する。何より「自由であること」を大切にしており、社員は自分1人のみで、その他の業務は外注。趣味・特技は格闘技、コスプレ、折り紙、ルービックキューブ、ゲームなど。X(旧Twitter):@mr04todai2020、Instagram:@mr04todai2020

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