「お笑いの舞台で救われた」“ムード歌謡の貴公子”タブレット純が語る、ダメ人間だった時代
『阿佐ヶ谷アパートメント』(NHK)、『タブレット純 音楽の黄金時代』(ラジオ日本)などテレビやラジオ番組で唯一無二の存在感を発揮し、注目を集めている“ムード歌謡の貴公子”ことタブレット純さん(49歳)。
――昭和の歌謡曲に興味を持ったきっかけを教えてください。
タブレット純(以下、タブレット):幼少の頃、父の車の中から流れてくるAMラジオを聴き、古い歌謡曲に興味を持つようになりました。自分が生まれる前のことに神秘性を感じていて。その中で、古い歌にも惹かれていきましたね。
――子どもの頃はどんな子どもでしたか。
タブレット:運動神経が異常に悪く、勉強も得意ではない。自分には何の取り柄もないと思っていました。弱々しくて、いじめられていましたし。まさに、ドラえもんに出てくるのび太みたい。
3兄弟の末っ子で、兄2人も変わり者ですが、僕が一番劣っている気がして。何かに没頭しているうちは、嫌なことを忘れられる。なので、切手を集めるなど趣味を生き甲斐に生きていました。
――歌手になる前はどんなお仕事をしていましたか。
タブレット:高校卒業後、友人のお父さんが経営している古本屋でアルバイトをしていました。アルバイトと言っても、お客さんがほとんどなく、ただ座っているだけです。午前中から夜中まで、年末年始も休みなく……。
その古本屋がリサイクル業を営んでいた関係で、ティッシュ配りもやっていました。テレクラのティッシュで女性だけにしか配れなかったので、ノルマの3000個を配り終えるのに苦労しましたね。
その後、古本屋が潰れてしまったため、仕事がなくなり、母の勧めでホームヘルパー2級の資格を取得しました。
いわゆる“わかりやすさ”と対極にある謎の雰囲気に包まれている。ゆえに知れば知るほどハマるファンが多い。魅力の背景にあるのは彼の奇異な人生だ。職場の閉鎖や欠員補充による抜擢で思わぬチャンスを掴み、脚光を浴びるも、華やかさの陰には常に厳しい現実があった。前編では、彼の波瀾万丈な半生をお届けする。
「子どもの頃は、のび太だった」
高校卒業後、友人の父が経営する古本屋でバイト
大阪府出身。外資系金融機関で広報業務に従事した後に、フリーのライター・編集者として独立。マネー分野を得意としながらも、ライフやエンタメなど幅広く執筆中。ファイナンシャルプランナー(AFP)。X(旧Twitter):@COstyle
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