エンタメ

「お笑いの舞台で救われた」“ムード歌謡の貴公子”タブレット純が語る、ダメ人間だった時代

「ありのままの自分」でお笑いの才能開花

タブレット純

草月ホールでのリサイタルで(撮影:御堂義乘)

――酒浸りの生活からどのように抜けられたのでしょうか。 タブレット:最初は、浅草東洋館の舞台に上がる前もお酒を飲んでいました。でも、ある日「ありのままの自分で出てみよう」という気になり、ラクな気持ちで舞台に立てたんです。それまでは歌手として「ちゃんとしなければならない」という気持ちに縛られて、プレッシャーに迫られてお酒を飲んでいたように思います。お笑いに出会えたおかげで、酒浸りの日々から抜けられました。  等身大の自分で生きるようになったら、トントン拍子で物事がうまく進んで。初めて事務所に所属することになり、芸人としてオーディションを受けたら、ほぼ100%の確率で受かり、テレビにも出るようになりました。  テレビでは、ネタを披露するだけの仕事はこなせました。でも、ひな壇に座って積極的に会話に割り込んで発言することはできず。これまでの人生で一度も会話に割り込んだことがないので(笑)。一言も発言しないまま番組が終了し、その後オファーが来ない……という感じでした。  その後、NHKラジオの「すっぴん!」という番組で昭和歌謡を紹介する役として出演するようになり、“昭和歌謡に詳しい人”として認知度が高まりました。お陰で、昭和ムード歌謡を軸とした活動が広がった気がします。一時的とは言え、かつて「和田弘とマヒナスターズ」に所属していたことで信頼感が得られている部分が大きいと思います。この業界に入るきっかけを作ってくださった和田弘さんとメンバーの方々には心から感謝していますね。 <取材・文/秋山志緒 撮影/スギゾー> 【タブレット純】 高校卒業後、古本屋、介護職などを経て27歳の時、ムード歌謡の伝説的グループ・和田弘とマヒナスターズに芸名「田渕純」としてボーカルで加入。以後2年間和田弘氏逝去まで同グループにて活動した。グループ解散後、サブカル系のイベント出演の他、寄席・お笑いライブにも進出。ムード歌謡漫談という新ジャンルを確立し、異端な存在となっている
大阪府出身。外資系金融機関で広報業務に従事した後に、フリーのライター・編集者として独立。マネー分野を得意としながらも、ライフやエンタメなど幅広く執筆中。ファイナンシャルプランナー(AFP)。X(旧Twitter):@COstyle
1
2
3
4
【関連キーワードから記事を探す】