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「お笑いの舞台で救われた」“ムード歌謡の貴公子”タブレット純が語る、ダメ人間だった時代

介護の現場で知り合った女性と交際

タブレット純――介護の現場では、どんな仕事をされていたのですか? タブレット:訪問介護の仕事をしました。そこでは、道を覚えて運転したり、浴槽を持ったりするなど男性的なスキルが求められて。方向音痴で筋力がない僕は100%向いていない。「社会に通用しないダメ人間」と自覚せざるを得なかった。  現場で全く使えないので、同僚の女性社員から嫌われていました。ここで諦めるか、何とかして続けるか……という瀬戸際に立たされ。身体を鍛えるために毎晩ジョギングしたり、事前に訪問先まで車で下見をして道を覚えるなど努力しました。そうするうちに、僕を嫌っていた女性社員に「頑張っているじゃん」という感じで、徐々に受け入れられるようになったんです。  しかし、その施設が1年で潰れることになりました。社員が次々と去り、僕と女性1人だけが残り、その方と仲良くなって人生で初めてのお付き合いをさせていただきました。その交際を通じて、心の中で少し前向きなものが芽生えた気がします。

マヒナスターズのボーカルに抜擢される

タブレット純

マヒナスターズ時代(当時28歳)。一番左がタブレット純さん

――その後、どのような経緯で芸能界に入られたのですか。 タブレット:中学時代から文通していたGS(グループサウンズ)研究家の第一人者である黒澤進さんの生き方に憧れて、ムードコーラスの研究をはじめました。その過程で、昔からファンだったマヒナスターズ(和田弘とマヒナスターズ)のメンバーの日高利昭さんが主催するカラオケ教室で歌を習うようになったんです。  3か月ほど経ったある日突然、マヒナスターズのリーダーである和田弘さんから電話がかかってきました。指定された場所に行くと、和田さんがその場にいらして「歌ってみて」と。緊張しながら歌うと、「今日からメンバーだからな」と言われて。  本来なら、マヒナスターズと言えば、何年も下積みをしてようやく抜擢されるような敷居の高いグループ。なのに、「なぜ素人の僕がメンバーに?」と、ビックリ。僕は引っ込み思案で社会に適応できていないような人間でしたので、まさか人前に出て舞台に立つなんて信じられなかったですね。
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抜擢の陰にあった裏事情が発覚
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大阪府出身。外資系金融機関で広報業務に従事した後に、フリーのライター・編集者として独立。マネー分野を得意としながらも、ライフやエンタメなど幅広く執筆中。ファイナンシャルプランナー(AFP)。X(旧Twitter):@COstyle

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