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“伝説の暴走族”幹部が司法試験に合格するまで。「18歳になったら特攻服を着るのが気恥ずかしくなった」

母の様子がおかしくなり、ついに…

金﨑浩之氏

左上が金﨑氏。未成年とは思えない貫禄だ

 勉強とは縁遠い、腕っぷしだけがものをいう世界。必然的に学習面に後れがみられるようになった。模試の偏差値は38。都立高校を志望していた金﨑氏は、本腰を入れて勉強を始め、偏差値は20も上がった。 「志望校には無事に入学できましたが、暴走族にも入りました。当時、さまざまな地域にまたがって活動していたブラックエンペラーです。それ以前の素行も悪かったのですが、最終的にはゴロマンが原因で高校を無期停学になりました。ゴロマンは、タイマン(1対1)と対になる概念で、集団対集団の戦いを意味します」  せっかく入学した高校だったが、紆余曲折ののち退学した。このころ、金﨑氏の家庭は危機を迎えていた。 「父は昭和のサラリーマンそのもので、『男は仕事に集中するから女が家のことをやれ』というタイプでした。母は、私だけでなく徐々に本格的な不良になっていた弟にも頭を抱えていて、たびたび父に相談していました。しかし父の返事はいつも素っ気ないものでした。  私ですら肝を冷やしたのは、弟が補導されたときのことです。当時の私たちにとって、補導そのものは大したことではありません。しかし精神的に不安定になり、実際に薬も服用していた母は、台所でぶつぶつと小声で喋り始めました。包丁を握りしめながら、『これしか方法はない……』と呟いています。刹那、私は母が弟を刺して自分も死ぬつもりだと察しました。結局、私が取り押さえて、大事には至りませんでしたが、それほどまでに私たちが追い詰めていたのだと知るきっかけになりました」

大学4年間で「1000冊以上の書籍を読破した」

 ちょうど似た時期に、金﨑氏は給料の支払いを渋る会社に労働力を搾取されたり、弟が交通事故の示談を弱い立場で交渉しなければならなかったりと、“世の中”を知った。大学へ進学しよう。そう決めたら行動は早い。籍だけ置いていた定時制高校に連絡し、大学入試のための手筈を整えた。 「私の性格だと思うのですが、これまでやってきたことに固執しないのかもしれません。18歳になったらもう暴走族という年齢でもないし、特攻服を着るのも気恥ずかしくなりました。大学は京都外国語大学へ入学したのですが、そこでESSという英語でディベートなどを行うサークルに入り、英語の弁論大会でも優勝しました。  一方で、大学4年間を乱読に捧げました。おそらく1000冊以上の書籍を読破したと思います。法律書を読んだときに、語学の道に進むのではなく、司法試験を目指すのも面白いなと直感しました」
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残り97%の受験生も白バイのように振り切れば…
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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