“伝説の暴走族”幹部が司法試験に合格するまで。「18歳になったら特攻服を着るのが気恥ずかしくなった」
弁護士法人ALG&Associates代表執行役員・金﨑浩之氏は、医療過誤などの事件において患者側の弁護を担い、高い実績を誇る弁護士であり、医学博士でもある。医療に精通した弁護士は少ないが、さらに異色の経歴が目を引く。1970年代、暴走族最盛期と呼ばれた時代に、全国にその名を轟かせた暴走族「ブラックエンペラー」の幹部としても活動していたのだ。
金﨑氏の半生を通して、異分野を自在に往来するバイタリティの正体に迫る。
「そんなにドラマティックな何かがあったわけではないんですよね」
自身が不良への道を突き進んだきっかけについて、金﨑氏はそう答えた。小学校時代から喧嘩に明け暮れ、校内は勿論、他校の番長格をシメに遠征もした。よほどのグレる原因があったかと思えば、原点は実に単純な憧れだった。
「非行は他人に迷惑をかける行為であり、許されるものではないと思います。ただ、当時住んでいた地域の風潮として、とりあえず“ツッパリ”になるという文化みたいなものがありました。幼い頃に遊んでもらったお兄さんたちがみんな気がつけばリーゼントになっていて、他の中学校の番長格をシメに行くのを見て、『かっこいい』というのがありましたね。それで、自分たちもやってみようと。
本格的な喧嘩の強い弱いもほとんど関係なくて、私たちが攻め込んだらもう半分以上勝ったようなものなんですよ。相手の学校の番長格からすれば、『連れてこい』と言われていきなり私たちの前に来たわけです。みんなだいたい青ざめてますよ。戦意もない。そういうのを繰り返すと、自分たちの小学校の名前だけが“悪いやつら”みたいな形で独り歩きしていきました」
不良少年のまま中学校へ上がり、そこでも金﨑氏は膨張を続けた。
「とにかく喧嘩三昧の日々でした。クラスごとに番長を決めたり、相変わらず校内外で喧嘩をして、その度に親を困らせました。我が家は非行少年によくある複雑な家庭というわけでもなくて、“モーレツ銀行員”の父と、専業主婦の母。弟は勉強もよくできて、荒れ放題の私とは違う人種でした。ところが、これまで両親の期待を一身に受けてきた弟が万引きをしたりして、徐々に非行に手を染め始めます。そのときも、両親には『お前が犯罪を教えたんだろう』と怒鳴られたりして。ますます喧嘩にのめり込むのですが、敗北も経験するなかで『もっと強くなりたい』という思いが頭をもたげてきて極真空手の稽古に精を出したりもしました」
小学生のときに「喧嘩のために遠征もした」
「複雑な家庭」ではなかった
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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