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中卒の元ヤンキーが資産50億円の“飲食店ドリーム”を叶えるまで「15歳から学んだ料理の“姿勢”が大きい」

料理人から経営者へ。手広くビジネスを展開して手にした20億円

 華正樓でキャリアを築いた鈴木さんは、飲食業界大手のい志井グループへ転職する。  そこで興味を持ったのは、立ち飲み居酒屋やもつ焼き屋といった繁盛店をFC(フランチャイズ)で広げ、事業を成長させていくビジネスモデルだった。  料理人ではなく経営にも魅力を感じるようになり、メニュー作りや店舗展開を手がける飲食コンサルティングの会社を経て、2000年初頭に独立する。  新丸子に「味のしんや」をオープンし、軌道に乗ってきたタイミングでホルモン焼き屋、ラーメン屋や立ち飲みの串焼き屋を近隣に出店。さらに、セントラルキッチンを設け、各店舗の食材を使った通販商品を作り、楽天市場で販売するECビジネスも行った。  途中からは建築関係の知人も経営に参画し、食材の仕入れからメニュー開発、料理の技術指導、店舗デザインに至るまでトータルコーディネートするサービスを提供するまでに事業を拡大していく。程なくして、M&Aの話が舞い込み、事業立ち上げから6〜7年で建築会社に「20億円」で売却が決まった。 「今までは、好きな料理をお客様に提供することで幸せを感じていました。でも、自分がゼロから一生懸命育てた会社を欲しいと言ってくれる人に売却するのも良いことだと思い、M&Aの話は好意的に受け止めることができました」

4度の会社売却で資産50億円、“飲食店ドリーム”を叶えられたワケ

 2度目の起業は、当時“幻の和牛”と称される尾崎牛を使った焼肉屋を新丸子に出店。尾崎牛を一頭買いし、普通の焼肉屋にはない希少部位を味わえるとあって、一躍人気を得ていく。この店舗はオープンから2〜3年後に「5億円」で売却したという。  3度目は中目黒の目黒川沿いにカフェ&バーを出店。朝6時から翌朝5時まで営業し、ハンバーグやビーフシチュー、オムライスといった洋食から、カフェやスイーツのメニューにも注力した業態だった。また、花見の季節は絶好のロケーションゆえに多くの客で賑わい、昼夜問わず若者が集うお店に成長。最終的には「12億円」で売却が成立した。  4度目は居酒屋とバーを中心に8店舗を運営する飲食事業を手がけ、コロナ禍に差し掛かる2020年3月に「13億円」で売却。実に4回の起業と売却を繰り返し、築いた資産は50億円に上った。  まさに不良から“飲食店ドリーム”を達成した鈴木さんだったが、飲食店経営が難しいと言われるなか、なぜ何度も繁盛店を生み出すことができたのだろうか。 「15歳から学んできた料理の『姿勢』、調理道具や食材に対しての『感謝』の気持ちをずっと忘れずに持ち続けたこと。  そして、それらをスタッフや役員にも伝えていたのが大きいと思います。あとは、スタッフの悩み事も個人面談を組んで、週1でやっていましたし、事業の目指す目標をチーム全体に浸透させることも徹底していましたね」
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料理人としての野望
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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