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“池袋の象徴”で「24時間営業」「ロックフェス」を行う案が…どちらも幻になってしまった理由

「監獄ロックフェスティバル」がもし開催されていたら…

堤が三島にこの話を持ちかけようとした事情はそれだけではない。当時、三島は『憂国』などの作品で、太平洋戦争における兵士たちの無念を主題とした作品の執筆を通して、かつての軍国主義や天皇制に対して一石を投じていた。 そのような三島であれば、太平洋戦争において重要な役割を担った巣鴨プリズンへの思いは深く、彼ならではの催し物を生み出すことができるのではないか。堤にはそんな期待もあったと思う。 結局、この「監獄ロックフェスティバル」のアイデアは、三島が1970年に自衛隊の市谷駐屯地で起こした自決事件のために、三島へ相談される前に流れてしまった。堤と三島がプロデュースを手がける「監獄ロックフェスティバル」が、もし開催されたとしたら、それはどのようなイベントになっていたのだろうか。その詳細は堤の頭の中にしかない。しかし、もしもこの企画が実際に行われていたとするならば、サンシャインは全く異なる道を歩んでいたのかもしれない。 ふとサンシャインの方へ足を伸ばしてみる。池袋で行われていたかもしれない、幻のロックフェスティバルのことを考えながら、老若男女さまざまな人が集まるその施設を歩いていく。今日もサンシャインシティは「太陽城」の名前のように、明るく、さまざまな人を引き寄せ続けている。 <TEXT/谷頭和希>
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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