「お父さん、もうおしまいなの?」能登半島地震で家族と生き埋めになった男性の証言
日本中の多くの人がお正月気分に浸っていた1月1日、能登半島地震が発生した。筆者も一人でくつろいでいたのだが、かなり大きな揺れで津波警報も出た。そのとき、筆者は友人の相川さん(仮名・43歳)のことが気になった。
地震が起こる30分前、相川さんは実家でくつろいでいた。本人のほかに子どもが2人。年老いた母親、そして認知症が進んだ父親の5人だ。
「だいたい15分前ぐらいに父親を残して、隣にある大きな物置に入りました。ここは昔、織物の工場だったのでいろんな道具があって。薪割りをするのが楽しみでした。子どもたちに経験させたかったんです」
年老いた母親もその後からついてきた。彼女の手には、相川さんが前日にプレゼントしたiPad。物置の奥にいると、いきなり緊急地震速報が鳴った。
これまでに何度も聞いた音なので、とくに慌てることもなく、怖くはなかったそうだ。筆者は知らなかったが、これは前震であったようだ。
「震度はどのぐらいかわからなかったんですが、それほど大きくはなかったと思います。ただ、念のため外に一回出てみて様子を見ました。しばらくすると揺れも収まったし、再び4人で物置に入りました。その3分後ぐらいでしたね……」
再び地震速報が鳴った。その瞬間、激しい揺れが襲い掛かってきたのだ。
「天井が落ちてきました。同時にいろんな大きさの木材が上から降ってきて、私は咄嗟に子どもたちに覆いかぶさって守ったのを覚えています。母親はすこし離れた場所にいたので、視界に入っていませんでした」
相川さんの心境はどうだったのか?
「こんなしょうもないことで俺は死ぬのか!と思いましたよ」
揺れは収まったが、あたりは暗闇に包まれていた。スマホのライトをつけると、天井が手前まで落ちてきていた。子どもたちは「もうだめだ〜!」と叫び、母親は頭に木材などが当たって「痛い、痛い」と呻いている。
そのときは気が付かなかったそうだが、相川さん自身も頭から血を流していたという。
彼が大晦日から小学校3年生と1年生の子どもを連れて、実家がある石川県羽咋市に帰省していたのを知っていたからだ。相川さんは以前いっしょに酒を飲んだ際、自虐的に「うちは田舎のボロボロの家で、隣には古くて大きな物置があって、もしも大地震が起こったら全壊するよ」と語っていた。
もしかしたら本当に地震で家が全壊しているかもしれないし、大丈夫だったのだろうか? 急いで連絡すると、相川さんから約1時間後に無事だという返事が戻ってきた。そして先日、彼が東京に戻ってきたので詳しい話を伺ってみることにした。
実家に帰省中、まさかの“生き埋め”に…
「もうだめだ〜!」「痛い、痛い」
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ